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兄との比較は「つらいと思ったことはなくて…」清宮幸太郎の弟・福太郎に聞く“大学で野球を辞めるワケ”「いつかは諦めなきゃいけない時がくる」 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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photograph by(L)Takeshi Shimizu、(R)Hideki Sugiyama

posted2025/12/05 11:01

兄との比較は「つらいと思ったことはなくて…」清宮幸太郎の弟・福太郎に聞く“大学で野球を辞めるワケ”「いつかは諦めなきゃいけない時がくる」<Number Web> photograph by (L)Takeshi Shimizu、(R)Hideki Sugiyama

大学で野球を辞める決断をした清宮福太郎(左)。兄・幸太郎は日ハムで主力として活躍している

「うちの学校は野球だけじゃなく、勉強をして入ってきた部員も多いんです。だから、他の強豪校と比べたら甲子園に対する思いがまちまちだった。寮生活を送る学校なら、みんなが同じ熱量で甲子園を目指すんでしょうが、うちは違う。その差を埋める作業をするのか、はたまた受け入れて違うところで工夫するのか、そこは一番苦労しました」

 また、3年生になると大学の学部が決まるテストもある。そちらを重要視するというメンバーもかなりいた。早実という学校の特殊な一面と言えるだろう。

 最終的には「最後の大会はみんなで頑張ろう」と“お願い”をしたという。

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 だが、結局3年の夏の大会は西東京大会でベスト16どまり。国学院久我山に完敗した。練習試合を含めた高校通算ホームランは20本。兄の111本には及ばず、進路は大学の一択だった。

 入学した早稲田大学では、ベンチ入りできたのは4年生になってからだ。

「1年の時は高校の延長みたいな感じで、バットを振り回していましたね。ケガの影響もあって、バッティングそのものができなかった。何をやっていたのか記憶にないほどです」

大学では適応に苦戦も…2年目から調子が上向きに

 2年生になって、ようやく調子が上向く兆しが見えた。きっかけは、金森栄治助監督がチームに加わったことだ。

「力が入っていて余計な動きが多いから木製バットで速いボールを打つには難しいスイングをしている、と教えられました。強い真っすぐを気持ちいいタイミングでバットに当てて、レフトに大きな打球を飛ばす……みたいなイメージをもっていたんですけど、それじゃあレベルの高いピッチャーは打てない。詰まってもいいから、振り切れと。そこからの2年間はそれの反復でした」

 金森助監督の指導もあってチーム全体のレベルも上がったという。チームはその間、3年の春から六大学リーグで3連覇を果たすのだが、自身はゲームに出る機会はなかなか訪れなかった。

 そんな中で「野球は大学まで」と答えが出せたのは、3年の秋、新チームがスタートする時だったという。

【次ページ】 「もちろん夢はありました。でも…」

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