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来季Moto2昇格決定の古里太陽がMoto3初優勝達成…マレーシアで最速だった理由と、リスペクトする小椋藍との絆
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遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2025/10/30 17:00
初優勝を果たし、パルクフェルメで「1番」のポーズをとったゴール直後の古里
太陽が予選で記録したアベレージタイムは十分優勝を狙えるものだった。小排気量のMoto3クラスは前車のスリップストリームを使うかどうかがタイムに大きな影響を与えるが、太陽は初日から単独走行でタイムを上げていった。予選では太陽のスリップを使った選手がポールポジションを獲得したが、それでも太陽が優勝にもっとも近いライダーだった。
決勝レース前の太陽に、僕は「予選までの走りが再現できれば優勝できるからな。落ち着いていけよ」と声を掛けた。その言葉がどこまで届いたかはわからないが、太陽は見事な走りでチェッカーフラッグを受けた。
いまから4年前、僕はこのコラムで「速いやつは最初から速い」と書いた。このとき太陽はグランプリライダー育成シリーズのルーキーズカップにデビューし、見事、デビューウインを達成している。その実力を買われ、2022年にホンダチームアジアからMoto3への挑戦をはじめた。
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デビュー2年目の23年、35戦目にしてタイGPで2位になって初表彰台を獲得。このとき、初優勝の日は近いと思ったのだが、それから42戦も費やすことになった。
その理由は、ふたつある。
決断が呼び込んだ回り道
ひとつはルーキーズで非凡な走りを見せた太陽が、ほとんどのライダーが経験するジュニア世界選手権を飛ばし、飛び級でいきなりMoto3に挑戦したこと。そのため、1年目は初めて経験するサーキットが多く苦戦が続いた。そして2年目にやっと初表彰台を獲得したあとは、もうひとつ苦難が襲いかかることになった。
それはホンダとKTMのパフォーマンスの差が開き始めたことだ。太陽にとって本領発揮のシーズンとなるはずだった24年シーズン、ホンダが勝ったのは1戦だけ。太陽は3度表彰台に立つが優勝はなかった。この年、KTMの全チームからオファーが舞い込んだことは太陽の実力を証明しているが、太陽は今季もホンダで挑戦することを決意。チャンピオン獲得を目指すはずだったが、第19戦まで表彰台獲得はわずか2度と苦戦が続くことになった。マレーシアでの初優勝はホンダにとって27戦ぶりの優勝だった。

