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「立浪和義コーチの助言をまさかの“無視”事件も…」巨人で愛された40歳、長野久義は“頑固”だった「両親の助言をスルーしてドラフト入団拒否」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/11/02 11:01

「立浪和義コーチの助言をまさかの“無視”事件も…」巨人で愛された40歳、長野久義は“頑固”だった「両親の助言をスルーしてドラフト入団拒否」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

今季限りで現役引退した巨人・長野久義(40歳)

 社会人としてまっとうなその姿勢は、結果的に2022年オフの巨人復帰へと繋がっていくことになる。カープでは規定打席には一度も到達できず不本意なシーズンが続いたが、4年間在籍した広島を去る際は、「(両球団に)僕の将来のことを考えてもらった結果だと思う。またマツダスタジアムに戻って来られるように、しっかりと頑張りたい」(サンスポ2022年11月3日)という感謝の言葉を残している。

 38歳での巨人復帰後は主に代打中心の起用となり、40歳で迎えた今季は二軍暮らしが続いた。そういう状況でも、長野を悪く言う声は一切聞こえてこなかった。若手や外国人選手に分け隔てなく声をかける人格者で、食事に出かけてチームメイトと同じ店で会えば、さりげなく相手の分まで会計を済まして先に帰る兄貴分。記者に対しては、会社名だけで呼ぶ選手も多い中、しっかり相手の名前を口にして応対する。

 現役引退を表明すると球団の垣根を超えて惜別の声が相次いだように、これまでも人格者・長野久義のエピソードは数多く語られてきた。もちろんそれが間違っているわけではない。だが、“人間・長野”ではなく、“野球人・長野”は、また違う知られざる一面を持っていたのも事実である――。

立浪コーチの助言を“スルー”

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「長野久義ともよく話をした。彼は人間的に非の打ちどころがない、すばらしい好青年だった。裏表がなく、若手にも裏方の人にもフレンドリーに接していた。大学から社会人を経由して巨人に入団してきたが、一社会人としても高い人望を得て成功できるだけの人間力が備わっている」(だから、野球は難しい/橋上秀樹/扶桑社)

 巨人時代にコーチとしてともに戦った橋上秀樹も、長野久義の人間性をそう絶賛している。そんな人格者の姿からは意外だが、グラウンド上の野球人・長野は頑固であり、己の意志を頑なに貫き通す一面も持っていた。

 2013年、WBCの日本代表チームに選出された、当時28歳の長野はヤフオクドームでの第1ラウンドは外野のスタメンで起用されていたが、第2ラウンドから先発オーダーから外れることが多くなっていく。このとき、ホームベースから極端に離れてバッターボックスに立つ長野が、国際試合のストライクゾーンに対応できるのかコーチ陣の間で議論が交わされていたという。内野守備・走塁コーチの高代延博は、打撃コーチの立浪和義に「国際大会で、これだけホームから離れていては通用しないのではないか」と意見をぶつけると、立浪も同じ考えだった。

「長野は、技術はあって甘い変化球はうまく拾うが、国際試合で今のスタイルを押し通せば通用しないのではないかと思った。(中略)立浪も同じ考えを持っていて『ベースに少し近づいてみてはどうか』と本人のプライドを傷つけないように噛んで含めるように長野に言ったようだ。『そうですね。やってみます』と長野は答えたらしいが、見ていると変わっていなかった」(WBC 侍ジャパンの死角/高代延博/角川書店)

中学3年間、父親とほぼ口をきかなかった

 気遣いの人・長野は、こと野球にかんして言えば、頑固だった。

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