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「大山でいきましょうか」金本知憲が変革した“阪神ドラフト戦略”…大山悠輔“驚きの単独ドラ1指名”舞台ウラ「無難な選手のドラフトは脱却しないと」
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酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2025/10/24 17:00
現在に至る阪神のドラフト戦略改革の立役者となった元阪神監督の金本知憲氏
そして球団の痛いところを突いた。
「ドラフトでいい選手を獲っていなかったから、補強に頼らざるを得ない状況になっていったんだと。ドラフトから変えないと、絶対にチームは変わらないからね」
金本が指揮官に就いたとき、目の前にはふたつの道があった。かつて自分が広島から加入した当時、星野仙一監督が推し進めて成功した「補強路線」を踏襲してもよかった。だが、この人は回り道を選んだ。あえて根気を要する「育成路線」に進んだ。
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「タイガースへの愛着としてファンが一番喜ぶのはそこですよ。俺が監督になる前は鳥谷(敬)しか、生え抜きのレギュラー野手がいないときもあったんだから」
「大山でいきましょうか」単独指名に至った舞台裏
'16年10月20日の「大山ドラフト」は、まさに金本イズムの極致だろう。
「裏をかこうとか、ビックリさせてやろうなんて、1ミリも考えてなかったよ」
ドラフト当日の朝、スポーツ新聞5紙で阪神の1位予想はすべて桜美林大の153km右腕、佐々木千隼だった。もうひとりの有力候補である創価大の投手、田中正義との二者択一かとみられたなか、ふたを開けてみれば白鷗大のスラッガーである大山を単独で指名したのである。意表をつかれた会場は、どよめきと悲鳴が交錯した。
その前日、スカウト会議を終えた時点で球団の腹案は《1位田中 外れ1位大山》だった。金本が方針を変えたのは当日の午前中である。「大山でいきましょうか」と、球団首脳やスカウトたちに切り出した。
「右の大砲はしばらく出てきませんから」
この方針への変更はすぐに満場一致で決まったわけではない。微妙な雰囲気になり、ある球団幹部は携帯電話を触りだした。しばらくすると、その幹部は「オーナーも賛成って言ってます」と伝えてきた。その場にいないオーナー(当時)の坂井信也にメールを送り、決裁を仰いでいたのだ。
金本の決断にはいくつもの理由があった。
「次の年も、その次の年も右打ちでホームランを打てるバッターがいない。『真っすぐを飛ばす能力はありますか』とスカウトに聞くと『ある』と。映像を見てもタイミングの取り方がうまくて、センスがあるなと」
決め手になったのが他球団の動向である。
どこが大山を狙っているのか──。
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