ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「髪の長い美人を紹介してやる」引退から5年、“野人”中西学58歳が語るプロレス転向を支えた“恩人の名前”…後輩・ウルフアロンにエールも
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byKeiji Ishikawa
posted2025/10/17 11:01
インタビューに答える現在の中西学さん
中西 それで楽しみにしながら食事の席についたら、向こうから長髪でガタイのいい人が現れて、どう見ても長州(力)さんなんですよね。
――アハハハハ! たしかに髪は長いけど(笑)。
中西 あの時、馳さんは「髪の長い美人を紹介してやるよ」と言ってたけど、たしかに「女性」とは言ってなかったから、ある意味で間違ってなかったんですけど(笑)。その時、長州さんに新日本の「闘魂クラブ」に入れば海外で練習して経験を積ませてもらえると言われて、それで和歌山県庁の公務員を辞めて、新日本でお世話になることになったんです。
「闘魂クラブなしに、いまの自分はないです」
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――実際、アメリカ遠征などの成果が出てオリンピックにも出場できたわけですよね?
中西 そうですね。闘魂クラブなしに、いまの自分はないです。アマチュア出身の先輩方、マサ斎藤さん、タイガー服部さん、長州さん、馳さん、みなさん尽力してくださって道を拓いてくれたので。あの当時ああいうことができる団体はなかったと思うんですよ。本当に感謝ですね。
――闘魂クラブに入ったのは、バルセロナオリンピック後にプロレス転向ありきの話だったんですか?
中西 自分はプロレスラーになりたい気持ちはもともと持ってたんですけど、まずはオリンピック出場を勝ち取らないことには話にならないので、そこは言葉には出してませんでしたね。一応、新日本の嘱託社員という形だったので、先輩レスラーから「お前、(プロレスに)来るんだろ?」って言われることもあったんですけど、「そのときはよろしくお願いします!」って、角が立たないような、社会人としての答え方をしてましたね。
――そしてバルセロナオリンピックが終わったあと、あらためて新日本プロレスに入門するわけですけど。長州さんからはプロ転向の際、何かアドバイスみたいなものはありましか?
中西 アドバイスというか、言われたのは「とにかく練習しろ!」「人よりも多く汗をかけ!」ということですね。きっと、技術的なことや難しいことを僕に言ってもわからんやろうと思ったんでしょうね(笑)。馳さんも僕に対しては理論的なことは言いませんでしたから。だからプロになっても、僕がやっていたことは、とにかく身体を動かして練習するっていうことだけでしたね。

