ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「髪の長い美人を紹介してやる」引退から5年、“野人”中西学58歳が語るプロレス転向を支えた“恩人の名前”…後輩・ウルフアロンにエールも
posted2025/10/17 11:01
インタビューに答える現在の中西学さん
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Keiji Ishikawa
今年のプロレス界で最もポジティブな話題のひとつが、東京2020オリンピック柔道100kg級金メダリスト、ウルフアロンの新日本プロレス入団だろう。来年1月4日、東京ドームでデビュー戦を行うことが決まり、大きな期待を寄せられている。
そしてウルフアロンからさかのぼること33年前にも、新日本には大きな期待をかけられて入団した日本人オリンピック選手がいた。それが、1992年バルセロナオリンピック・レスリングフリースタイル100kg級日本代表の中西学だ。
野生味溢れるファイトスタイルと、野生そのものと言われたキャラクターで多くのファンに愛されながら、首のケガのため2020年に54歳で引退した“野人”中西に、あらためてアマチュアからのレスラー人生を振り返ってもらった。
ADVERTISEMENT
◆◆◆
――のちにオリンピック選手となる中西さんは、やはり子どもの頃から運動神経は抜群だったんですか?
中西 いや、そんなことないです。身体は大きくて、力は強かったんですけど、スポーツ経験もなかったんで。
――スポーツ経験もなかったんですか!? 部活にも入ってなかった?
中西 中学までは入ってなかったです。「コイツは続かんやろ」と思われていて、実際、物事が続かない子だったんで。親父なんか「仕事は家の農業を継げばいい。あと、嫁さんも見つけてやるから」みたいなこと言ってましたからね。勉強らしい勉強もしたことなかったし、自分も高校なんか行けるとは思ってなかったんで。
「殴られても蹴られても、なんとか続けて…」
――レスリングはどのようなきっかけで始めたんですか?

