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「おまえ、絶対にやらせないから」蝶野正洋が長州力にかばわれた日…新日本とUインターの“泥沼劇”を生んだ「髙田さんと闘いたい」発言のナゾを追う 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2025/10/11 17:00

「おまえ、絶対にやらせないから」蝶野正洋が長州力にかばわれた日…新日本とUインターの“泥沼劇”を生んだ「髙田さんと闘いたい」発言のナゾを追う<Number Web> photograph by AFLO

「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」が行われた1995年の蝶野正洋

 こうして当事者である蝶野ではなく長州力が前面に出ることによって、蝶野vs髙田という話が、長州vsUインター取締役3人というリング外の図式にすり替わり、新日本は「蝶野が逃げた」というイメージを作ることなくUインター側の“仕掛け”を廃案に追い込むことに成功したのだ。

「また、あの頃のマスコミもうまいんだよね。記事になればどっちだっていいんだから。今度は長州さんとUインターでバンバン煽って。それで長州さんも俺と髙田さんの試合っていう話を、いつのまにか新日本とUインターの4vs4の決闘を巌流島でやるなんていうむちゃくちゃな話にすり替えちゃってさ(笑)。そういうふうに周りがいろいろ動いてくれていて、俺もなんとかここまでやってこれたということが、いまになっていろいろわかったんだよね」

“禁断の対抗戦”だったからこそ…

 この2年後、94年にUインターは優勝賞金1億円を用意した「プロレスリング・ワールドトーナメント」開催をぶち上げ、新日本を含む主要5団体のエースに対し一方的に参戦招待状を送りつけた。

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 またしても事前の根回しがなかったこのUインターのやり方に長州力は「プロレス界の恥さらしだ。あいつらがくたばったら、墓に糞ぶっかけてやる!」と激怒。両団体が交わることは永久になくなったと思われた。

 多くの人が「実現不可能」と思っていた禁断の対抗戦だったからこそ、新日本vsUインターの対抗戦は、あそこまで爆発的な盛り上がりを見せたのである。

 なお、新日本vsUインター全面戦争が行われた95年10・9東京ドームで、蝶野は当初、宮戸優光戦が発表されたが、この時点ですでに宮戸はUインターを事実上離れており、このカードは当て馬的に発表されたものだった。

 そのため蝶野はドームに出場しなかったが、その後、蝶野率いる狼群団と安生洋二、高山善廣、山本健一(現・喧一)というのちにゴールデンカップスを名乗るユニットとの抗争が勃発。新日本のストロングスタイルもUWFスタイルも関係ない、アメリカンプロレス的な流れで人気を集めた。

 蝶野は蝶野のやり方で、Uインターとの因縁の伏線を回収したのである。《後編に続く》

#2に続く
「悪いこと考えるよな(笑)」“全日本吸収”未遂はまさかの結末に…蝶野正洋が今明かす「新日本プロレス選手大量離脱事件」とは何だったのか?

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