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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「おまえ、絶対にやらせないから」蝶野正洋が長州力にかばわれた日…新日本とUインターの“泥沼劇”を生んだ「髙田さんと闘いたい」発言のナゾを追う
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/10/11 17:00
「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」が行われた1995年の蝶野正洋
NWA世界王座も「俺は何も聞かされてなかった」
そもそも蝶野は、NWA世界王座がなぜ新日本で復活したのか、その理由も意図も分かってなかったという。
「NWAっていうのはもともと、猪木さんが新日本を旗揚げした当初から提携したかったけど、(ライバルであるジャイアント馬場の全日本プロレスが独占していたため)ずっと取れなかったブランドだったんだよね。そして90年代初頭っていうのは、WWEがエンターテインメント路線を進めていた時期で、WCWはそれに対抗するために新日本のストロングスタイルも取り入れよう、と。そのために92年の第2回『G1』はWCWとの混合トーナメントになって、優勝者が復活NWA世界ヘビー級王者になり、新日本とWCWを股にかけて防衛していく、と。
それで最終的にはWCWと新日本の連合軍が、アメリカでWWEと興行戦争、覇権争いをしていく。そのためにマサ(斎藤)さんなんかが早くから動いて、2年ぐらいかけたビッグプロジェクトだったらしいんだけど、俺は何も聞かされてなかったんだよ。だからNWA世界王者になったものの、これから何をするのかわかってなかった(笑)。
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新日本ってそういうアングル的な伝達がないんですよ。もっと言えば、G1に2回目があることも直前まで知らなかったからね。当時の俺はとにかく首のケガがひどくて、G1を全日程なんとかやり終えたあとは、翌日すぐ治療に行って、あとは『早く休みたい』ということしか考えてなかった」
蝶野をかばった長州「おまえ、絶対にやらせないから」
本来、G1優勝、そしてNWA世界ヘビー級王座戴冠はスタートであり、そこから蝶野は日米を股にかけた防衛ロードを歩むはずだったが、体調的にそれが難しい状況だったのだ。
「なのに俺は『髙田さんとやりたい』とか関係ないこと言い出して、新日本とWCWが進めてきたプランを台無しにしちゃったんだよね。それが今になってわかったんだけど、あの時、長州さんやマサさん、猪木さん、坂口さんも含めて、よく俺を怒らなかったな、と。もし俺が現場監督の立場で、自分のところの若いチャンピオンがそんな勝手な発言してたら、『てめえ、ふざけんな。何様だと思ってるんだ!』って俺は注意してると思う。
でも、逆に長州さんは、自分が防波堤のように前面に出て俺を守ってくれたんだよね。Uインターの宮戸くん、安生くん、あとフロントの鈴木さんの3人が新日本の事務所に2度目に乗り込んできた時、じつは俺は隣の部屋にいたんだ。でも、長州さんが『おまえ、絶対にやらせないから。俺が守るから』って言ってくれて。首のケガもあるから俺を引っ込めて、自分が交渉の前面に出てくれたんだよ。あの時は、『カッコいいな、そこまで言い切るか』って思った」

