- #1
- #2
ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「おまえ、絶対にやらせないから」蝶野正洋が長州力にかばわれた日…新日本とUインターの“泥沼劇”を生んだ「髙田さんと闘いたい」発言のナゾを追う
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/10/11 17:00
「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」が行われた1995年の蝶野正洋
そこで明かされた条件とは、「Uインターからの髙田延彦、山崎一夫を含む4選手と、新日本から長州力、マサ斎藤を含む4選手の計8選手が大晦日に巌流島でバトルロイヤルを行ない、その勝者が翌年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会で蝶野に挑戦する権利を有する」「試合の1カ月前までにUインターは新日本に“リスク料”として3000万円を支払う」というものだった。
Uインター側の会見を受けて新日本は「(交渉内容の公開は)ルール違反だ。約束が守れない団体とは同じリングに立つことはできない」と“絶縁”を宣言。さらに新日本の現場監督である長州と、Uインターの宮戸優光がそれぞれ相手を非難したことで、その関係は修復不能となった。
リップサービスから始まった泥沼劇
この泥沼劇の発端となってしまった「髙田さんとやりたい」発言に至った経緯を蝶野はこう語る。
ADVERTISEMENT
「あれはG1で優勝したあとの取材だったんだけど、『ゴング』が普通の優勝者インタビューじゃなくて、俺が学生の頃やんちゃしてた(暴走族)時代の写真を載せて、それを特集でやろうとしてたんで、俺が当日になって『それは嫌だ』って断ったんだよ。そしたら代わりに何か大きな見出しになる発言をしてくれってことになって。当時は髙田さんが勢いあって注目されてたし、俺は若手の頃から髙田さんのことは尊敬していたから、『実現したらおもしろいんじゃないか』みたいなことをリップサービス的に言ったら、Uインター側がアポなしで新日本の事務所に対戦要求に来ちゃって、それで大ごとになったんだよ」
当時、Uインターはルー・テーズが1960年代に腰に巻いていた当時のNWA世界ヘビー級のチャンピオンベルト(通称・テーズベルト)を復活させ、ゲーリー・オブライトとの王座決定戦に勝利した髙田をプロレスリング世界ヘビー級王者に認定していた。
つまり新日本とUインターは同時期にまったく別の形でそれぞれが、かつての(NWA)世界ヘビー級王座を復活させた。ちょうどそのタイミングで蝶野が「髙田さんとやりたい」とリップサービス混じりに発言したことで、「どちらが真の世界王座か決めよう」という対戦実現の口実をUインター側に与えることとなったのだ。
「だから多分、向こうもこっちのビジネスのデカさがわかっててちょっかいかけてきて。売名行為的なことを狙ってるところに、俺が格好のネタを投げちゃったんだよ」
