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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「おまえ、絶対にやらせないから」蝶野正洋が長州力にかばわれた日…新日本とUインターの“泥沼劇”を生んだ「髙田さんと闘いたい」発言のナゾを追う
posted2025/10/11 17:00
「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」が行われた1995年の蝶野正洋
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堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
今年9月17日の誕生日で62歳になったプロレス界の“黒のカリスマ”蝶野正洋が、新刊『蝶野正洋 プロレス名勝負とあの事件の裏の裏』(ワニブックス)を出版した。
蝶野は20代の頃から首のケガに悩まされ、50代半ばからは脊柱管狭窄症に苦しめられてきたが、2021年に思い切って手術をしてリハビリに取り組んできた結果、徐々に症状が好転。23年2月21日に東京ドームで行われた武藤敬司の引退興行では、内藤哲也との引退試合を終えた武藤からの要請を受け、8年10カ月ぶりの特別試合として同期の武藤と最後の対戦をサプライズでおこなった。そして昨年からさらに回復傾向が見られたこともあり、現在、ケジメとしての引退試合、もしくは引退セレモニーを行うべく、リハビリに努めている。
そんなプロレスラーとしてのラストランを迎えた状況下で、あらためて自分の現役生活を振り返ってみると、闘魂三銃士として早くからトップレスラーの仲間入りを果たしたが故に、若い頃には気づけなかったことが、いまになって理解できるようになったことが多数あったという。そういった数々の事件の現時点での真相や、名勝負の背景を綴ったのが本書だ。その発売を機に蝶野正洋にインタビュー。“裏の裏”を語ってもらった。《全2回の前編/後編に続く》
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「髙田さんと闘いたい」発言の真相
1995年10月9日、東京ドームで行われた「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」。あの史上最大の団体対抗戦から丸30年が経ったが、当時、犬猿の仲と言われた新日本とUインターの因縁が始まったそもそもの発端は、蝶野がプロレス雑誌のインタビューで語った何気ないひと言だった。
1992年に蝶野は「G1クライマックス」2連覇を達成。この時のG1は新日本のトップレスラーだけでなく、当時WWF(現・WWE)と並ぶアメリカのメジャー団体だったWCWのレスラーも多数参戦。WCWが復活させたかつての“世界最高峰”NWA世界ヘビー級王座の新王者決定トーナメントでもあった。
これに優勝し、復活NWA世界ヘビー級王者となった蝶野は、『週刊ゴング』のインタビューで、「髙田(延彦)さんと闘いたい」と発言。これを受けて、同年10月26日、髙田が所属するUインターの取締役である宮戸優光、安生洋二、鈴木健が、当時のUインターの最高顧問だった元世界王者の“鉄人”ルー・テーズを引き連れて、新日本の事務所をアポなしで訪問。対戦要望書を手渡す行動に出たのだ。
そして両団体は11月6日にあらためて話し合いの場を設けたが、交渉は決裂。しかもその後、Uインターが記者会見を開き、「新日本が出してきた条件はあまりにも非常識だった」と、交渉内容を暴露したことで関係はさらに悪化した。

