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「あのホームランは忘れられないですね」清原和博が明かした18歳の記憶「山田久志さんと村田兆治さんは別格でした」「何が嬉しかったって…」
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生島淳Jun Ikushima
photograph byAsami Enomoto
posted2025/09/30 11:01
現役時代を振り返り、「4番のあるべき姿」を語った清原
「詰まると打球が飛ばなかったり、最初は難しかったですよ」
たしかに4月は苦戦し、最初の試合で華々しい本塁打を放ったものの、13試合ノーヒットも経験し、第2号が出るには4月30日まで待たなければならなかった。
「5月あたりから徐々に結果は出始めてましたけど、練習の段階でしっくりしてきたのは6月くらいからです。それなりに時間は必要だったですね」
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バットだけではない。当時のパ・リーグのマウンドには猛者が揃っていた。
「高校野球とプロでは、それは投手のレベルが違います。なかでも、山田久志さん(阪急)と村田兆治さん(ロッテ)のふたりは別格でした」
山田からは、シーズンが始まってからしばらくはナメられっぱなしだった。
「子ども扱いされてましたね。高校で何本ホームラン打ってるか知らんけど、プロのストレートを打ってみぃ、という感じでほぼ真っ直ぐしか投げてもらえなくて」
「あのホームランは忘れられませんね」
実際、打てなかった。それが変わったのは、5月22日に山田のストレートをバックスクリーンに叩き込んでからだった。
「あのホームランは忘れられませんね。なにがうれしかったって、その一本を打ってから、山田さんが決め球のシンカーを投げてくれるようになったことです。それはそれで厄介だったんですけど」
一本のホームランで、形勢は変化する。このシーズン、15試合完投して14勝を挙げた38歳の山田と、19歳の清原の対決は、選手生活終盤に差し掛かったベテランと、これから全盛を迎えようとする新人の交錯という点で興味深い。山田はこの2年後のシーズンを最後に引退するが、清原は山田に力量を認められたことで、シンカーに「間に合った」ことになる。
そして村田も厄介だった。「マサカリ投法」は、清原にとって未知との遭遇だった。
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