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「あのホームランは忘れられないですね」清原和博が明かした18歳の記憶「山田久志さんと村田兆治さんは別格でした」「何が嬉しかったって…」

posted2025/09/30 11:01

 
「あのホームランは忘れられないですね」清原和博が明かした18歳の記憶「山田久志さんと村田兆治さんは別格でした」「何が嬉しかったって…」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

現役時代を振り返り、「4番のあるべき姿」を語った清原

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

PROFILE

photograph by

Asami Enomoto

 右に左にアーチをかっ飛ばす雄姿に誰もが心躍らせた。今から39年前、弱冠18歳で衝撃デビューを飾った大砲は「無冠の帝王」と揶揄されても、死球を食らっても、打席に立ち続けた。いま語る4番のあるべき姿とは――。
 発売中のNumber1127号に掲載の[ライオンズ青春譜]清原和博「雲の上を走るが如く」より内容を一部抜粋してお届けします。

清原和博、18歳のプロ初ホーマー

 清原和博のプロ入り初本塁打は、1986年4月5日、西武球場でのデビュー戦でのことだった。

 この試合、6回表の守備から登場した清原は、プロ入り2打席目、9回裏2死走者なしの場面で打席に立った。相手は南海の藤本修二。完投勝利目前だった。清原が内角のストレートを振りぬくと、打球は左翼の芝生席へ一直線。それを見届けると、清原は一塁を回ったところでジャンプ、まるでサヨナラホームランを打った時のような喜びようだった。

 実はこの試合、西武はこのまま2対4で敗れたのだが、清原の初ホーマーが話題をさらってしまった。相手投手の藤本がヒーローインタビューで、「勝ち投手なんですけど……」と思わず本音をこぼしてしまったほどである。

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 そしてここから、清原は525本のアーチをかけることになる。

 王貞治、野村克也、門田博光、山本浩二に次ぐ通算本塁打記録を持つ清原に、どんな時に本塁打を打てるのか、そのイメージを解説してもらおう。

「ヤマを張って打つバッターもいますけど、僕は球種は読まなかったです。来た球に対応するタイプでした。それに、そもそもホームランを狙って打席に立ったことはないです。基本、センター返しをする。その気持ちが大事。その結果としてホームランになるのが自分のスタイルでした。だから理想のホームランは、センター付近に飛ぶ打球なんですよ。狙った方向に打てて、なおかつ飛距離も出たということなんでね。ただ、来た球への対応型なのでタイミング、バットのヘッドスピード、すべての条件がそろわないとホームランにはならないんです」

「山田久志さんと村田兆治さんは別格でした」

 その意味で、プロ生活で最初に苦労したのは1年目だった。金属から木製バットへの変更、そして投手のレベルがケタ違いだった。特に木のバットについては、春先はかなり苦労したという。

【次ページ】 「あのホームランは忘れられませんね」

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