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「周作は彩艶をライバル視してたよね(笑)」GK鈴木彩艶の浦和レッズ時代恩師が証言…ひょろひょろだった少年を成長させた“日本代表2人の大先輩” 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2025/09/12 11:05

「周作は彩艶をライバル視してたよね(笑)」GK鈴木彩艶の浦和レッズ時代恩師が証言…ひょろひょろだった少年を成長させた“日本代表2人の大先輩”<Number Web> photograph by Getty Images

メキシコ戦で先発し、安定したプレーで失点0に抑えたGK鈴木彩艶

「周作は彩艶をライバル視していたよね」

 レッズジュニアの練習場はトップチームと同じ大原サッカー場。彩艶たちが放課後の時間に練習に行くと、トップチームのGK西川周作が「彩艶、早く一緒にサッカーをしようね」と声を掛け、可愛がってくれた。ドイツへ移籍する直前の原口元気はシュートを打って練習につきあってくれた。原口はもちろん手加減していたが、あるとき、彩艶はたまらずファンブルして股の下から後ろへ。すると原口がすかさず「彩艶、それ一番怒られるヤツ!」と言った。

 工藤氏は「西川がいろいろ教えてくれたり、元気がシュートを打ってくれたり、からかってくれたり、彩艶にとってはすごく意識が高まる環境だったと思う」と当時を振り返る。

 彩艶は中学生になると浦和レッズジュニアユースに所属。この時期もまださほど身長は高くなかったため、チームは彩艶の家族とも話し合って中学1年から2年にかけての約1年間、試合を除く練習日を週1日程度に制限した。ケガをして練習を休んでいる間に身長が伸びる選手がそれまでもしばしばいたからだ。

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 彩艶は練習日数に制限をつけていた時期に身長が一気に伸びた。そして中2の夏。トップチームのGK練習に参加するために大原サッカー場に来た彩艶の身長は183センチの西川を少し超えていた。

 工藤氏はこのように述懐する。

「周作は彩艶が大きくなっているのを見て驚いていましたね。6年生の時は『早く一緒にやろう』と言っていたのが、1年半後のこの時は『彩艶、キーパーはいろいろ経験しなきゃいけないから、焦るなよ』と言ったんです」

 工藤氏は今も西川と「あの時、周作は彩艶をもうライバルとして意識していたよね」と笑って話すという。

彩艶からの電話「もうひとつオファーがあります」

 時が過ぎて23年8月。彩艶はシント=トロイデンへの移籍を決めた。彩艶は21年のリカルド・ロドリゲス監督時に一時期ポジションをつかみかけたが定着できず、西川が正GKを務めていた。

 当時、工藤氏は彩艶から「去年(22年)に続いてシント=トロイデンから話をもらっているので(移籍を)考えています」と電話がかかってきたことを覚えている。

 彩艶は「周くんはやっぱりすごい。でも自分もこのタイミングで勝負しないといけないと思う。レッズで(ポジション争いに)勝てなかった悔しさはあるけど、海外に行こうと考えています」と話していた。

 工藤氏はその電話で「もうひとつオファーがあります」という報告も受けた。

「どこ?」

「ユナイテッドです」

「何ユナイテッド?」

「マンチェスター・ユナイテッドです」

「すごいな。でも、試合に出られるの?」

【次ページ】 かつて弱点と言われた“日本のGK”の現在地

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