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女子バレー“出産後の現役復帰”先駆けだった選手の苦悩「やめたいと思うことは何度もあった」佐伯美香はなぜ、それでもビーチバレーに戻ったか? 

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吉田亜衣

吉田亜衣Ai Yoshida

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posted2025/09/06 11:03

女子バレー“出産後の現役復帰”先駆けだった選手の苦悩「やめたいと思うことは何度もあった」佐伯美香はなぜ、それでもビーチバレーに戻ったか?<Number Web> photograph by NumberWeb

インタビューに答える現在の佐伯美香さん

独身時代との“決定的な違い”

 独身時代とは違う競技生活に少しずつ慣れてきたものの、もうひとつ決定的に違うことがあった。

「シドニー五輪の時はダイキさんに社員として所属していました。一度現役をやめましたし、北京五輪に向けてのワールドツアーの転戦費用は当然自分で出さなければいけない。ハングリー精神は必要でしたね。ましてや1年のうち半分以上は家を空けることになる。独身時代はやりたいと思えば自由にできたけれど、子どもや家庭を持った以上、周りの協力なしでは競技生活はできない。お金も必要ですから。ダイキさんにはスポンサーというかたちで応援していただき、そのほか地元の企業さんを始め支援やサポートを募って、活動していました」

 復帰した年から海外にも転戦。強化選手だった浦田聖子やVリーグから転向したばかりの大型選手の鈴木洋美など若手とペアを組んできた。世界での成績は伸び悩んでいたが、目標に定めた北京五輪は刻々と迫っていた。

女子バレー界で“ママさんアスリート”の先駆けに

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 しかし、2006年後半からアテネ五輪出場経験のある楠原千秋とペアを組み、怒涛の快進撃が始まった。大型化が進み始めた世界の女子ビーチバレー界の中で高さを持ち合わせていない佐伯/楠原組が武器としたのは、相手の弱点に狙いを定めたジャンプフローターサーブやネットの幅をいっぱいに使った速いテンポの平行攻撃だった。五輪予選を兼ねたワールドツアーで一桁順位をバンバンとたたき出し、五輪出場規定となるランキング24位以内に滑り込んだ。

 今でこそ、出産後に復帰し育児をしながら現役を続けるアスリートは増えてきたが、当時のバレーボール界で五輪出場を果たしたママさんプレーヤーは佐伯が先駆けだった。

「出産後に現役を続ける選手もいなかったので、そういう角度の取材は確かに多かったですね。子どもに自分がプレーしている姿を見せたかったし、そういった選手が少ないのであれば、より頑張らなあかんと。取材を通じて改めて考えることで支えられているなと実感したり、考えを見直すこともありました。もちろん、やめたいと思うことは何度もありましたよ。でも、自分一人でやっているわけではない。いろいろな方の協力を仰いで成り立っている環境にいたので、無責任のまま中途半端な状態ではやめられないと思っていました」

【次ページ】 佐伯の次に現れた“ビーチの妖精”

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