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「高校野球史に残る大論争」佐々木朗希が投げなかった決勝“チームメイトだけが知る真実”とは?「朗希は疲れていた。でも…」先発投手がついに告白
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byL)Asami Enomoto、R)Kiichi Matsumoto
posted2025/09/26 11:04
2019年夏、佐々木朗希に代わって先発した大船渡・柴田貴広のインタビュー(第2回)
「確かに朗希は疲れていた。でも…」
「確かに朗希は疲れていたし、宿舎に戻ってからも辛そうでした。大会は岩手の中でも内陸で試合があるので、沿岸の大船渡とは気温が5、6度違うんですよ。暑さに対しても慣れがないので、そこに対するしんどさも加わっていたのかなと思います。でも、その時点ではみんなは8割方、朗希が(先発で)行くだろうなと思っていました。あっても(和田)吟太が最初に行って、もつれたら朗希が投げるのかな、って……」
柴田さんはこの大会で準決勝まで、一度も登板がなかった。決勝の前夜、國保陽平監督から「お前肩肘は大丈夫か?」と声をかけられていたというが、その時はまさか自分が登板するとは夢にも思っていなかった。
「大丈夫か? と言われて『一度も投げてないから大丈夫っス』というやりとりをしたんですが、さすがに(登板は)ないでしょ、って。コミュニケーションの一環だと軽く流していました。だから決勝の前夜は爆睡も爆睡。たっぷり眠れました」
目を疑った「ピッチャー・柴田」の文字
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翌朝、練習場でホワイトボードを見た柴田さんは我が目を疑った。各ポジションごとに先発メンバーの名前貼られたダイヤモンド型の図形の中で、ピッチャーマウンドには「柴田」の名前があったのだ。
「最初は何かの間違いだと思ったので監督に聞きに行ったんです。『さすがにオレじゃないですよね?』って。そうしたら『お前で行くよ』と……」
柴田さん「3イニングぐらいなんとか繋げれるように頑張ります」
國保監督「行けるところまで行くけど」
柴田さん「え? 多分3イニングが限界だと思います。朗希を作らせておいた方がいいですよ」
そんなやりとりをした記憶がある。佐々木から「頑張れよ」と声をかけられたような記憶も。しかし、全てはおぼろげだ。あまりに突然の展開に、柴田さんは完全に我を忘れていた。
「先発を言われて練習が終わって、気づいたらなんか球場に着いていて……。もう時間の流れもよく分からない。めちゃくちゃ緊張していました。先発するということは家族にも伝える余裕はなかったし、応援に来ていた母親の姿を見つける余裕もありませんでした」
ただ、試合前のスタメン発表で、どよめきが起きたのは覚えている。
「まず球場にいる在校生が、『朗希じゃないんだ』と。そこからザワザワし出したのが伝わってきました。そうですね、そこは覚えています。『あいつか』って感じの空気でした」


