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「高校野球史に残る大論争」佐々木朗希が投げなかった決勝“チームメイトだけが知る真実”とは?「朗希は疲れていた。でも…」先発投手がついに告白
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byL)Asami Enomoto、R)Kiichi Matsumoto
posted2025/09/26 11:04
2019年夏、佐々木朗希に代わって先発した大船渡・柴田貴広のインタビュー(第2回)
あの日あのマウンドで、何が起きていたのか?
驚きと困惑が広がる岩手県営野球場の真ん中に、「背番号12」のサイドスロー右腕が立つ。1回、花巻東高の先頭打者にいきなり三塁打を浴び、悪送球などで2失点すると、2回にはスクイズで追加点を許した。3回は1死三塁から内野ゴロの間に4点目。マウンド上の柴田さんは必死だった。
「きついなと思いながらも、何とか毎回最小失点に、最小失点にと意識しながら投げていました。他のことを考える余裕なんてなかった。気がついたら点を取られている、という感じで。ちょくちょくベンチを見ながら、(交代は)まだか、と思っていた。交代するなら早い方がいいよ、早くしてくれという思いで……」
ベンチの國保監督に動きはなかった。同じ3年生の和田、大和田の両右腕は自主的にブルペンで肩を作り、イニングの合間には「いつでも行けるよ」と声をかけてくれていたが、交代の声はかからず4回のマウンドにも柴田さんが上がった。
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「伸ばす、伸ばさないに関しては監督の判断だったと思うんですけど……。自分はとにかく必死でなんとか、なんとかっていう……。でもなんとかならず、気づいたらもう取り返しのつかないような点差になっていました」
4回は0点に抑えたが、5回にはソロ本塁打を浴び、6回には3安打などで4失点。1対9となってようやくタオルが投げ込まれ、7回のマウンドから2年生左腕の前川真斗がマウンドに上がった。結果は2対12。佐々木朗希は最後まで登板することなく、打者としての出場もなかった。
「そこに関して、自分の思いはただ一つ。申し訳ない、という気持ちしかなかったです。俺が終わらせた、っていう、それだけです。悔しい、もっとやれたかも、という思いもあったけれど、自分の感情より何より、とにかくみんなに申し訳なかった、って」
最後の夏が終わった。しかし、そこから大船渡高と佐々木朗希は、野球界を二分するような大論争の渦中に投げ込まれていく。柴田さんの登板の“その後”、仲間たちがエースの異変を知らなかった理由とは――。〈インタビュー最終回につづく〉

