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「今までで一番きつかった」県岐阜商OBのカープ佐々木泰がドラフト1位でプロ入りすると決めたコロナ禍の最後の打席

posted2025/09/01 06:00

 
「今までで一番きつかった」県岐阜商OBのカープ佐々木泰がドラフト1位でプロ入りすると決めたコロナ禍の最後の打席<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

佐々木の1年目は怪我で力を発揮できない時期が長かった

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前原淳

前原淳Jun Maehara

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 7月戦線で4勝16敗3分けと大きく負け越した広島だったが、若い力を積極的に起用しながら8月に盛り返し、クライマックスシリーズ(以下CS)争いに加わっている。

 新井貴浩監督は優勝争いから後退した7月から大きく舵を切り、若手の起用を進めた。その方針はCS進出を射程に入れた今も変わらない。指揮官の視線の先にあるのはCSだけでなく、来年以降のチームの陣容だ。

 その象徴が「サード・佐々木」だ。ドラフト1位で入団した佐々木泰は、金本知憲氏が背負った背番号10を託され、大きな期待を集めていた。だがプロ1年目は、相次ぐケガでリハビリ中心の時間を過ごすことになった。

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 昨年11月、ドラフト指名を受けた直後の神宮大会で左肩を負傷。ケガの影響で春季キャンプは二軍スタートとなり、強度を抑えながらの調整を余儀なくされた。キャンプ打ち上げ後の3月1日のオープン戦から一軍に合流したものの、4日後のDeNA戦で左太もも裏を痛めて再び離脱となった。

 シーズンが始まり、5月20日ヤクルト戦で待望の一軍デビューを果たすも、6月7日に肋骨の疲労骨折と診断され、出場選手登録を抹消された。

 あっという間に過ぎ去った梅雨とは違い、佐々木の3度目のリハビリはなかなか明けなかった。焦る気持ちも、はやる気持ちもあったが、目の前のことにだけ集中した。

 7月に入ると、徐々に練習メニューの制限もなくなってきた。ちょうど各地で始まる、甲子園出場へ向けた予選に自らを奮い立たせた。心なしか、吹き出る汗も心地よかった。

県岐阜商への進学

 中学時代の佐々木が、この夏、甲子園を沸かせた県岐阜商高への進学を決めたのは、進路を決めるギリギリのタイミングだった。野球だけを優先せず、進学先を迷っていた中で、誘いを受けていた県岐阜商高の野球部監督に鍛治舎巧氏が就任することを知った。鍛治舎氏がそれまで指導していた熊本・秀岳館高の野球への憧れもあり、入学を決断した。

 だが、すぐに選択は間違っていたかもしれないと、佐々木は思ったという。

「練習がめっちゃきつかったです。今までの中で一番きつかったと思います。振る量もトレーニングも、メンタル的にも一番きつかった」

【次ページ】 高校3年生の決断

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