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「今までで一番きつかった」県岐阜商OBのカープ佐々木泰がドラフト1位でプロ入りすると決めたコロナ禍の最後の打席 

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前原淳

前原淳Jun Maehara

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posted2025/09/01 06:00

「今までで一番きつかった」県岐阜商OBのカープ佐々木泰がドラフト1位でプロ入りすると決めたコロナ禍の最後の打席<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

佐々木の1年目は怪我で力を発揮できない時期が長かった

 鍛治舎流で鍛えられた。“県岐商”名物となった2人1組で行う「手押し車」から始まり、練習では徹底的にバットを振り込んだ。打撃練習は5カ所で行われ、グラウンド脇にはエアロバイクやトレーニング器具が置かれていた。設定した数値に達しなければ、次のメニューにいけないサーキットメニュー。思い出すだけで手の痛みが蘇ってくるような日々だったが、他の高校球児と同じように甲子園という目標が佐々木に力を与えていた。

 2年秋に翌春のセンバツ出場を手中にした。だが2020年の大会直前、世界中で猛威をふるった新型コロナウイルスによって大会の中止が決まった。

「それまで1日1日の練習を耐えるのに必死だったこともあって、コロナで自粛になったときはそれほど危機感はなかったんです。自主的に近くの球場に集まって動いたりしていましたし、センバツがなくなっても夏に向けてやっていこうと切り替えられていました」

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 まだ17歳の高校生。猛練習から解放された安堵感も心のどこかにあったのかもしれない。だが、世の中は日常を取り戻す方向とは真逆に進んでいった。緊急事態宣言が発令され、5月20日には夏の全国高校野球も中止となることが決まった。戦後初の事態に「さすがにきつかった」と吐露する。

高校3年生の決断

 それでも翌月、選抜出場予定校による交流試合を8月の甲子園で行うことが決まったことで、心はわずかに晴れた。

「チームとしては『楽しもう』と言っていたんですけど、自分の中では何とか次につなげたいと思っていた。監督から『甲子園は人生を変える』と言われていたので、ここで人生を変えると思ってプレーしていました」

 大分・明豊高との一戦。3点ビハインドの9回に4打席目が回ってきた。高校最後の打席。ホームランしか狙っていなかった。カウント2-2からの高めの球にバットを思い切り振り上げると、無人の左中間席に乾いた衝撃音が響いた。弾んだ白球を確認し、ダイヤモンドを走る佐々木は歯を食いしばりながら何度もうなずいた。本大会ではなかったが、聖地にその名を刻んだからこそ、胸にひとつの目標を刻むことができた。

「大学に行って、ドラフト1位でプロ入りする」

 高校卒業時に立てた目標を持って、青学大に進んだ。1年からレギュラーの座を掴み、4年時には主将としてチームを牽引。全日本大学野球選手権ではMVPの活躍で優勝に導くなど、史上5校目となる大学4冠達成に貢献。そして、ドラフト1位でのプロ入りを果たした。

【次ページ】 広島の星として

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