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野ボール横丁BACK NUMBER
「髪型自由化なのに…なぜ丸刈り人気?」佐賀北の甲子園優勝監督が語る“強豪公立野球部の今”「慶応が優勝して…チャラチャラして、と言えなくなった」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/29 06:00
甲子園出場チームは丸刈りが多いが…佐賀北は髪型自由化に踏み切っていた
百﨑 日本一になったとき、決勝で逆転満塁ホームランを打った副島(浩史)は今、県内で2校目の監督を務めています。2年前、高志館っていう農業高校に移ったんです。そうしたら、気合いを入れるんだって、部員をわざわざ丸刈りにさせて。やめとけって言いましたよ。ただでさえ部員がいないのに。おまえがいくらがんばったって最初からみんながついてこられるわけがないだろ、と。みんながみんな覚悟を決めて入ってきているような高校じゃない。まずは部員を集めて、その選手たちが辞めないように指導するのが先決じゃないですか。そこからだよ、って。
30年前に髪型自由化…しかし
――百﨑さんの監督時代はずっと丸刈りにさせていたんですよね。
百﨑 いや、僕も自由でいいよという時代があるんです。1994年春に神埼高校に赴任したとき、1学年9人もいないような野球部で。でも、調べると、中学時代に野球をやっていた生徒はけっこういたんです。だから、入れよって誘ったら、ある子が「坊主にならなきゃいけないから……」って言うので、伸ばしていいからって。すぐに丸刈りを廃止した。そうしたら、けっこう入ってくれたんです。それから、ずっと頭髪は自由でやってたんです。ただ、その交換条件じゃないけど、身なりの検査で注意されるような格好だけはすんなよといつも言っていたんです。眉毛を細くしたり、後ろ髪が長いとかね。そうしたら、やっぱりそういう選手が出てきて。頭にきたから、まずは僕がすぐ坊主にしました。それで「俺も坊主にしたから、おまえらも明日から坊主だ」って。だから、2001年に春夏連続で甲子園に出たときの3年生は入るときは髪を伸ばしていたけど、引退するときは坊主だったんです。
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――でも2007年に佐賀北が優勝したときは、そんなチームではなかったじゃないですか。
〈つづく〉

