Number ExBACK NUMBER
「競輪はギャンブル…良い印象なかった」自転車大好き少年が“賞金30億円”を稼ぐまで…神山雄一郎が“天才”と呼ばれた頃「中2で15時間280キロ走破」
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byKiichi Matsumoto
posted2025/08/25 11:00
今春から日本競輪選手養成所の所長に就任した神山雄一郎(57歳)。競輪の世界に足を踏み入れる前の“原点”を明かした(写真/本人提供)
覚悟を決めてからは、一直線に突き進んだ。高校3年生の秋、競輪選手を養成する日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)のテストを一発でパス。運命に導かれるように競輪界へ足を踏み入れた。人生の選択は自らの意思で下してきたつもりだった。しかし後になって、父親の知られざる過去を聞かされたとき、知らず知らずのうちに用意されたレールの上を歩いていたのかもしれないと気づいた。
「僕の父親も競輪選手になりたかったらしいんです。練習を積んで準備したのですが、受験しようとしたのが24歳。昔は上限年齢が23歳(現在は年齢制限なし)までで、1年だけ遅くて……。準備に1年もかけていなければ、合格していたと思います。もしかすると、17歳の僕をKEIRINグランプリに連れて行ったのも、競輪の道に進んでほしかったからなのかなって」
当時は父の思いも知る由はなく、競輪学校に入学してからもひたすら訓練に励んだ。ハードな練習と規律の厳しい生活。時代は昭和である。『二度とあの頃に戻りたくない』という競輪選手も多いが、神山だけは違っていた――。〈第2回へ続く〉

