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「競輪はギャンブル…良い印象なかった」自転車大好き少年が“賞金30億円”を稼ぐまで…神山雄一郎が“天才”と呼ばれた頃「中2で15時間280キロ走破」
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byKiichi Matsumoto
posted2025/08/25 11:00
今春から日本競輪選手養成所の所長に就任した神山雄一郎(57歳)。競輪の世界に足を踏み入れる前の“原点”を明かした(写真/本人提供)
中学1年生の夏には草レースに出場していた父親に連れられ、宮城県の名取市へ。初めての試合である。右も左も分からないままスタートラインに並んだ13歳は、ひたすらペダルを踏んだ。海沿いの景色を楽しむ余裕などはない。40人近く出場していた20kmレースは苦しくて、つらくて、前を走る人たちに何度も置いて行かれそうになった。それでも、食らいついた。もう40年以上前の話になるが、鮮明に覚えている。
「頑張りに頑張り抜いて、6着くらいでフィニッシュしたんです。もしかすると、これが僕の原点かもしれません。入賞して、サイクリングキャップをもらったのがうれしくてね」
中2で15時間280キロ走破
幼少期から剣道で心身ともに鍛えられてきたが、走り込みのトレーニングなどはしたことがない。脚力は父とのツーリングで自然と培われた。中学校2年生の頃には1日に280kmを走破したこともある。小山の自宅を出発したのは、朝日が昇る前の午前3時頃。辺りは真っ暗である。静かにライトを点灯させ、その日のロングライドはスタートした。日光を経由し、群馬の丸沼、菅沼、沼田とどれほどの峠を越えたのかは分からない。太ももをイジメ抜くように山を登っては下り、そしてまた登る。自宅に戻ったのは夜の8時頃だった。途中で休憩をはさみながら、約15時間程度は走っている計算である。中学生には過酷なサイクリングコースに思えるが、あっけらかんと笑う。
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「旅行みたいで楽しかったですよ。このときもトレーニングとは思わなかった。足はきつかったのですが、嫌になることはなくて。人生を振り返っても、1日にあれほどの距離を自転車で走ったことはないですけどね」

