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「競輪はギャンブル…良い印象なかった」自転車大好き少年が“賞金30億円”を稼ぐまで…神山雄一郎が“天才”と呼ばれた頃「中2で15時間280キロ走破」
posted2025/08/25 11:00
今春から日本競輪選手養成所の所長に就任した神山雄一郎(57歳)。競輪の世界に足を踏み入れる前の“原点”を明かした(写真/本人提供)
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Kiichi Matsumoto
生涯獲得賞金は驚異の“30億円”。名実況・古舘伊知郎が「太もも四輪駆動」「小山のヘラクレス」と捲し立てた競輪界の生ける伝説は今――。神山雄一郎インタビュー全3回、第1回は知られざる“天才少年”時代を振り返る。【NumberWebオリジナル特集/第2回、第3回も公開中】
36年間に及ぶ現役生活に幕を閉じ、まだ半年あまり。ポロシャツ越しにも迫力が伝わる上背180cmの鍛え抜かれた体は、57歳のそれとは思えない。
競輪で歴代最高の生涯獲得賞金29億3830万円を稼いだ神山雄一郎は、今年4月から日本競輪選手養成所の所長を務めている。真夏の陽射しが容赦なく照りつけるなか、伊豆の山あいに広がる訓練施設のバンクにじっと目を向けていた。
「昔は僕もここで走っていたんです。今よりも走る量は、もっと多かったですけどね。やっぱり、競輪選手を長く続けるためには、土台づくりが大事。プロの競走が始まると、試合(レース)から逆算して調整するので、練習量も限られてきます。僕の場合はたまたま中学校、高校時代にも、土台をしっかり築けたので」
「小山のヘラクレス」の原点
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栃木県小山市で生まれ育ち、ドロップハンドルのサイクリング車に乗り始めたのは中学生の頃。実家は自転車屋さんを営んでおり、父親は熱心なサイクリストだった。週末になると、早朝から2人でツーリングによく出かけたという。往復50kmの大平山、100kmの筑波山ルートは定番のコース。前を走る父の背中を追い、引き離されないように付いて行った。山頂近くまで長い上り坂をアタックしたのも良い思い出。もはやピクニックのサイクリングではない。ハードなトレーニングと言ってもいいが、気が滅入ることは一度もなかった。
このときすでに、天才レーサーの片りんが垣間見えていたのかもしれない。


