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「新宿の歌舞伎町で人の流れに逆行して歩き…」釜本邦茂、早稲田大時代の伝説…4年連続得点王「4年生が号泣するのを見て、いいことをしたんだなと」
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伊東武彦Takehiko Ito
photograph by日刊スポーツ/アフロ
posted2025/08/17 11:00
早慶サッカー定期戦、早稲田大学1年時の釜本邦茂。2025年8月10日、肺炎により81歳で生涯を閉じた
門限に遅れることもあったが、グラウンドを走っていろと命じられる程度で、理不尽な上下関係はいっさいない。4年生のときに、野球部の主将が「サッカー部は手ぬるい。下級生に示しがつかない」と抗議にきたことがあったが、主将の森が、「ウチにはウチのやり方がある」 と言い返した。
関東大学リーグでは4年連続で得点王になったが、もっとも思い出深いのは1年生のときだ。
11ゴールを挙げて7戦全勝の完全優勝の立役者になった。東伏見のグラウンドで焚火をしながら部員全員が輪をつくった。
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「4年生が号泣するのを見て、いいことをしたんだと実感したね」
新宿・歌舞伎町で「人の流れに逆行しながら」
その年に日本代表候補合宿に呼ばれた。GKの保坂司から、シュートのときの足の振りが大きいと指摘された。膝下を素早く振り抜く練習をした。相手DFに向き合うことを想定して、新宿の歌舞伎町で、人の流れに逆行しながら歩き、人とぶつかる寸前に身をかわした。動体視力を上げるために、西武線の窓の外に流れる看板の文字に目を凝らしもした。
月の仕送りは1万5000円で、寮費を払うと残りは昼食代で消えてしまう。練習がオフになると丸の内に出かけた。会社訪問と称して、三菱、古河、日立の“御三家”に勤めるア式や日本代表の先輩にご飯をおごられにいくのだ。
そんな習慣もあり、卒業後は父親の希望どおりに三菱重工に入り、森とともにサッカー部でプレーする腹づもりで、三菱重工サッカー部の創設者の岡野良定にも会っていた。熱心に誘われた日立や東洋工業にも断りを入れていた。
卒業を8カ月後に控えた7月、ア式の大先輩で入学時にも面倒を見てくれた川本泰三から東京駅に呼び出され、新幹線に乗せられた。

