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PL学園で起きた“最後の試合前日”の事件…骨折と脱臼で2人が緊急離脱、戦えるメンバー9人の異常事態に「僕の右肩なんてどうなってもいい」
text by

柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/18 06:00
2016年夏の大阪大会を戦ったPL学園「最後の12人」
名門の混乱「裏切られたという思い」
1955年の学園創立と同時に創部され、翌年、高野連に加盟した野球部は、甲子園に出場し、アルプススタンドに「PL」の人文字を作ることで、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団の広告塔を担ってきた。全国にある教会のネットワークを駆使して有望選手の情報を集め、1学年20名前後の少数精鋭軍団を築いてきた。
春夏通算96勝(歴代2位タイ)という、甲子園出場を宿命づけられた野球部の歴史にあって、'14年4月に入学した62期生は、入学前の段階から多くの困難に直面した。
まず、彼らの代から入学金や授業料が免除となる特待生が廃止された。前年までのように積極的な選手勧誘が行われず、また、大阪の中学生の間で「PLが野球部に力を注がなくなった」という噂が広まっていたこともあり、一般入試による十数名の部員しか集まらなかった。
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入部したら今度は、野球経験のある監督が不在だった。前年2月に発覚した部内暴力によって6カ月の対外試合禁止処分が下り、前監督の河野有道が辞任したあと、当時の校長が監督を兼任していた。
〈つづく〉
