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「裏切られたという思いある」PL学園OB・ファンが号泣…“最後の12人が敗れた”試合「みんなに迷惑をかけた」高校野球の超名門が消えた日

posted2025/08/18 06:01

 
「裏切られたという思いある」PL学園OB・ファンが号泣…“最後の12人が敗れた”試合「みんなに迷惑をかけた」高校野球の超名門が消えた日<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2016年夏の大阪大会を戦ったPL学園「最後の12人」

text by

柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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Hideki Sugiyama

2016年の夏から休部状態がつづくPL学園硬式野球部。9年前、大阪大会を戦う“最後の12人”を追った。【全2回の第2回/1回目も公開中】(初出:Number908・909・910号)※表記などはすべて初出時のまま

“最後の12人”にいた1歳上の選手

 進路を決定する際、彼らは「新監督は間もなく決まる」と聞かされていた。だからこそ、他の学校には目もくれず、憧れの名門校に入部してきた。しかし、いつまで経っても監督は決まらない。今となっては、「裏切られたという思いがあるのも事実です」と口にする部員もいる。

 さらに彼らを窮地に追い込んだのは、'14年10月に発表された「'15年度からの新入部員募集停止」だ。わずか12人となっていた62期生は、後輩もできず、いつしか'16年夏の廃部が既定路線となった。彼らに対する技術指導は、学園の体育教師であるコーチの千葉智哉と共に、'80年代の黄金期のOBふたりが週末、行っていた。しかし外部コーチも'15年夏には、学園の意向によって野球部に居場所を失った。全国の大学にパイプのあったコーチが野球部を離れることは、在校生からすれば、卒業後の進路にも大きく影響することだった。ある選手が明かす。

「秋の大会で1回戦負けしている僕らは、大学野球部のセレクションを受けたいと思っても、公式戦の実績が受験資格を満たさず、受けられないことも多い。先輩方のように、野球の強い大学を紹介してもらいたいけれども、現状はコネがなくて、自力で受験し合格するしか方法がないんです」

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 62期生にとって、唯一の救いだったのは1歳上の土井塁人が部に残ってくれたことかもしれない。「塁人」の名から察せられる通り、土井は甲子園球児となる夢を背負って幼い頃から野球に励んできた。闘病生活が落ち着いた時、学園からは「退部して勉強を頑張るなら進級も可能」と説明を受けた。しかし、彼は大好きな野球を続けるために留年した。全体練習後の自主練習では、仲間の練習にも夜遅くまで付き添った。

 そういう献身的な彼の姿勢を2年に渡って見てきた私は、たとえ公式戦に出場はできなくとも、練習試合には出場してもいいのではないか――彼にそう提案したこともあった。大学でも野球を続ける予定で、将来は野球指導者になる夢を持っている土井なら、誰よりグラウンドで暴れ回りたい気持ちが強いはずだ。しかし、土井はいった。

【次ページ】 最後の夏…2つの課題

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