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PL学園で起きた“最後の試合前日”の事件…骨折と脱臼で2人が緊急離脱、戦えるメンバー9人の異常事態に「僕の右肩なんてどうなってもいい」
text by

柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/18 06:00
2016年夏の大阪大会を戦ったPL学園「最後の12人」
12人の部員から2人が離脱し、残された10人のうちのひとり、土井塁人は記録員で出場資格がない。彼はPL学園に入学して半年が経過した'14年10月、血液のがんの一種である「急性リンパ性白血病」を患った。およそ半年の闘病生活を送ったことで留年を経験し、他の部員より1歳上なのだ。
戦えるメンバー9人…うち一人も満身創痍
既に試合を成立させる上で9人ギリギリの戦力であるが、昨秋までレフトのレギュラーだった藤原海成は、3月の守備練習中、白球を追って飛び込んだところ、右肩から地面について、関節唇損傷という大けがを負っていた。リハビリによって快復してきてはいるものの、力いっぱいのボールを投げることはまだまだできない。最後の夏も、代打での一打席に賭けるような状況だった。
その藤原がレフトのポジションに入るという。セカンドの河野が離脱したことによってレフトの谷口大虎がサードに、サードの水上真斗がショートに、ショートの原田明信がセカンドにまわる緊急事態となった。藤原は前夜、仲間と入念に打ち合わせた。
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「試合中、左中間に飛んだボールを捕球したらセンターにボールを預けて返球してもらい、レフト前の打球ならショートにボールを投げる約束事はできていました。もし走者がいて、本塁クロスプレーになるような打球が飛んできたら……僕の右肩なんてどうなってもいい。そう思っていました」
内野陣で随一の守備力を誇る原田は、急なポジション変更にも冷静だった。
「もちろん、ふたりが出場できないショックはありましたけど、こういう状況になった時に備えて、練習はしていましたから。内野の守備位置が大きく変わることで、動揺することはなかったです」
これ以上のケガ人が出たら試合続行が不可能な、まさしく満身創痍の状況で、12人は最後の戦いに挑んだ。

