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ドラフト1位指名を反故→「投手コーチをやらないか」牛島和彦と長嶋茂雄のすれ違いプロ人生秘話「僕みたいなやんちゃは紳士にはなれない」
posted2025/08/05 11:14
トレード、そして現役引退後まで、牛島が激動の日々を明かした
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
NumberWeb
1986年のシーズンオフ、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)と中日ドラゴンズの間で、プロ野球史に残る1対4の超大型トレードが断行された。
日本で唯一三冠王を3度達成したロッテ・落合博満内野手(33=当時、以下同)1人と、中日ドラゴンズ・牛島和彦投手(25)、上川誠二内野手(26)、平沼定晴投手(21)、桑田茂投手(26)の4人の交換である。
これまで中日が獲得した落合の側から語られることの多かったこのトレードで、ロッテに放出された4人で一番の主力・牛島は何を考え、どう行動し、運命を受け入れたのか。そして、その後の野球人生にどのような影響があったのか。29年後の今、真相のすべてを明かした。〈全5回の第5回/はじめから読む〉
日本で唯一三冠王を3度達成したロッテ・落合博満内野手(33=当時、以下同)1人と、中日ドラゴンズ・牛島和彦投手(25)、上川誠二内野手(26)、平沼定晴投手(21)、桑田茂投手(26)の4人の交換である。
これまで中日が獲得した落合の側から語られることの多かったこのトレードで、ロッテに放出された4人で一番の主力・牛島は何を考え、どう行動し、運命を受け入れたのか。そして、その後の野球人生にどのような影響があったのか。29年後の今、真相のすべてを明かした。〈全5回の第5回/はじめから読む〉
1対4のトレードに翻弄された牛島の野球人生にはもう一つ、今年亡くなった長嶋茂雄さんが関わったインサイドストーリーがある。そもそも、牛島が中日に1位指名を受けた79年のドラフトで、当初は巨人も競合するはずだったのだ。
当時、長嶋監督は第1次監督時代の5年目。シーズン終了後、当時としては珍しかった秋季キャンプ、今や伝説となった「地獄の伊東キャンプ」を行い、中畑清、松本匡史、江川卓、西本聖ら、若手18人を鍛え上げていた頃である。
牛島と長嶋監督の因縁
「本当は、巨人も僕をドラフト1位で指名すると聞いていました。ところが、ドラフト当日になって、長嶋さんが日本鋼管の木田勇さんに変更したんだそうです。
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それで、日本ハム、大洋(現DeNA)と競合した結果、クジを外して高校生の林泰宏(市立尼崎)を1位指名してるんですけどね。そういうことがあって、僕は中日に1位で単独指名された。長嶋さんが僕のことをどう思っておられたかはわかりませんが、プロ入りする時にそういう経緯があったんですよ」
それから20年近くが経ち、牛島が解説者、長嶋が2度目の監督を務めていた時代。長嶋は牛島を投手コーチとして巨人に招へいしようと動く。読売から出向していた球団幹部に、いかに牛島が豊富な経験と知識を持っているかを説明。親会社の承諾も得て、長嶋自ら牛島との交渉に当たったのだ。

