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「事前の打診とかないのかよ!?」落合博満との”1対4トレード”真相を牛島和彦が激白!「中日が『お金をこれだけ出すから』でカチン! と」
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/05 11:00
中日時代の牛島。クローザーとして84年には最多セーブ、移籍前の86年にも16セーブを挙げていた
大島さんを名古屋で降ろして、それから下呂温泉へ向かった。右肘の治療をしてくれるところがあって、治療を兼ねて行くことにしたんです。僕の担当スカウトだった法元英明さん(当時51=球団調査役)を『温泉にでも一緒に行きましょう』って誘って。
それで、旅館に着いたら、もうそこに球団から電話がかかってきていたんです。『すぐ名古屋に戻ってこい』という伝言が残されていました。それは僕より先に法元さんが聞いていた。
仕方なく、ぼくひとりだけまた車を運転して、慌てて名古屋へUターンですよ。指定された名古屋観光ホテルに着いたのが夜9時頃だったかな。駐車場に入ったらカメラマンたちにワッと取り囲まれて、カシャカシャカシャカシャ、フラッシュとシャッターの音がものすごかった。何だ、これは? みたいな。
『今すぐここで返事をしろ』にカチッ!
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それで部屋へ入ったら、待ち構えていた球団の人間が『ロッテへのトレードが決まった。今すぐここで返事をしろ』です。しかも顔を合わせた早々、いきなりね。
僕は御殿場から名古屋まで3時間、名古屋から下呂まで2時間半、下呂からまた名古屋まで2時間半、合計8時間車を運転して、やっと辿り着いたばかりだった。大丈夫かとか、突然呼び出して申し訳なかったとか、一言ぐらい、こちらを気遣う言葉があってもいいじゃないですか。それが一言もない。
これにまずカチッ! ときました」
牛島にはチームに貢献しているという自負があった。79年秋のドラフト1位で浪商(大阪)から中日に入団し、1年目に早くも2勝をマーク。82年にはリリーフエースとして17セーブを挙げ、中日の優勝に貢献している。83年に主に先発で初の2桁勝利(10勝)、84年には抑えで獅子奮迅の活躍を見せ、当時の日本記録に「あと1」と迫る29セーブを記録し、最多セーブをマークした。86年も16セーブを稼いだにもかかわらず、突如トレードされることになったのだ。


