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「事前の打診とかないのかよ!?」落合博満との”1対4トレード”真相を牛島和彦が激白!「中日が『お金をこれだけ出すから』でカチン! と」
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/05 11:00
中日時代の牛島。クローザーとして84年には最多セーブ、移籍前の86年にも16セーブを挙げていた
僕としては、とにかく抵抗するだけ抵抗すれば、他の3人の気持ちも少しは晴れるんじゃないかと思ったんです。10発殴られてもええから1発だけでも殴り返したい、という感情ですよ。そういう選手の気持ちだけはきちんと伝えておきたかった。
これだけお金を出すから行ってくれ
ところが、僕がそういう話をしているところへ、球団は『お金を出すからとりあえず行ってくれ』と言い出した。これだけ出すからと、具体的な金額も示されました。これにもまたカチッ! ときたんです。僕が求めているのはお金じゃないんだと。
こうして、球団と話せば話すほど、いくつもカチッ! カチッ!が積み重なっていった」
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当時のプロ野球界には、功労のあった選手をトレードに出す際、球団が「引っ越し代」を渡す慣習があった。体のいい「我慢料」であり、高くて100万円程度が相場だったと言われる。
本気で野球を辞めるつもりだった
このトレードにはもうひとつ、放出された4人と中日との間で、将来中日に呼び戻す約束が交わされたという説もある。
「そういう一筆は、確かにもらいました。社長の誰々、87年から監督になる星野仙一さん(当時39)の署名が入っていて、ハンコも押してあった。
ただ、その書き方が、どうかと思ったんです。野球を辞めて、僕のほうが望むなら中日で面倒を見ましょうとか、そういう文章でしたから。少なくとも、将来は是非帰ってきてくれという内容とは感じられなかった。そんなものをお守りにして生きていくのは嫌でした。俺は自分ひとり頑張って生きていこう、と思った。
その時は、本気で野球を辞めるつもりでした。まだ25歳だったので、別の人生でもやり直しはできるだろうから」
〈第2回につづく〉

