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「野球を辞めてゴルファーになろうと」牛島和彦”史上最大のトレード”拒否に兄貴分・星野仙一が深夜の説得も…「気持ちは全然固まらなかった」
posted2025/08/05 11:11
「ネクタイを締めて来い」と牛島(右)を自宅に呼び、深夜の説得に臨んだ星野(左)。牛島の心は揺れ動いていた
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
JIJI PRESS
1986年のシーズンオフ、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)と中日ドラゴンズの間で、プロ野球史に残る1対4の超大型トレードが断行された。
日本で唯一三冠王を3度達成したロッテ・落合博満内野手(33=当時、以下同)1人と、中日ドラゴンズ・牛島和彦投手(25)、上川誠二内野手(26)、平沼定晴投手(21)、桑田茂投手(26)の4人の交換である。
これまで中日が獲得した落合の側から語られることの多かったこのトレードで、ロッテに放出された4人で一番の主力・牛島は何を考え、どう行動し、運命を受け入れたのか。そして、その後の野球人生にどのような影響があったのか。29年後の今、真相のすべてを明かした。〈全5回の第2回/つづきを読む〉
日本で唯一三冠王を3度達成したロッテ・落合博満内野手(33=当時、以下同)1人と、中日ドラゴンズ・牛島和彦投手(25)、上川誠二内野手(26)、平沼定晴投手(21)、桑田茂投手(26)の4人の交換である。
これまで中日が獲得した落合の側から語られることの多かったこのトレードで、ロッテに放出された4人で一番の主力・牛島は何を考え、どう行動し、運命を受け入れたのか。そして、その後の野球人生にどのような影響があったのか。29年後の今、真相のすべてを明かした。〈全5回の第2回/つづきを読む〉
86年12月23日の夜、名古屋観光ホテルで球団幹部に突然トレードを通告された牛島は、「考える時間がほしい」と言ってその場を辞した。その時点では、本気でトレードを拒否し、野球を辞めるつもりだったという。
「球団には『2日間、考える時間がほしい』と言いました。『僕が決めるまではマスコミに僕の名前を出さないでおいてくださいよ』と。そうしたら、その日の夜のテレビから、翌朝の新聞まで、僕の名前がワーッと出ちゃってるんだから。
正直、本当に野球を辞めようと思いました。まだ25歳やから、やり直しも利く。僕の担当スカウトだった法元英明さん(51=当時調査役)にも『辞めてもいいですか』って聞きましたよ。
プロゴルファーを目指そうかと
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ゴルフが好きやったんで、今からプロゴルファーを目指したらどないなるやろうと考えて、女子プロの森口祐子さんに相談したこともあります。森口さんのご主人がトップアマの関谷均先生という岐阜のお医者さんで、僕もお世話になってたんですよ。わざわざ僕の家に来て頂いて、森口さんの師匠・井上清次プロに弟子入りするか、という話までしたんですけどね。
その時、井上先生に『おまえ、年俸いくらもらってるんだ?』と聞かれて金額を答えたら、『ゴルフで同じくらい稼ごうと思ったら、賞金ランキングのベストテンに入らなきゃいけないぞ』と言われました。そんなに簡単なもんじゃないんだぞ、と」

