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死んだ父が残した借金30億円完済も「酒に逃げた…」“このままじゃ確実に死ぬ”と診断された金平桂一郎を救った亀田興毅という宝物 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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posted2025/08/04 11:01

死んだ父が残した借金30億円完済も「酒に逃げた…」“このままじゃ確実に死ぬ”と診断された金平桂一郎を救った亀田興毅という宝物<Number Web> photograph by JIJI PRESS

金平桂一郎が会長を務める協栄ジムへの移籍会見でポーズをとる亀田興毅と父・史郎さん(2005年6月)

 追い打ちをかけたのが、好調だったサイドビジネスに陰りが見え始めていたことだった。銀行からは融資を断られ、ひたすら金策に走った。酒量は日に日に増えていく。金平が当時をこう振り返る。

「亀田家の移籍後、毎日がお祭り騒ぎ。メディアや後援者が入り乱れ、ただただ楽しかった。ですが、ストレスがなかったといえば嘘になります。最初は物珍しさもありましたが、赤坂で生まれ育った私と、西成で生まれ育った亀田家では文化や考え方の違いは埋めがたいものがあった。今にして思えば私の方からも距離をとった節もある。結果、私は酒に逃げてしまった。もし、しっかりと向き合っていれば今頃どうなっていたか。そのことはとても反省しています」

 そして、2007年の10月、ボクシング史に残る世紀の反則事件が起きる。初の世界挑戦となった次男・亀田大毅は、全国放送された興行で内藤大助に対してレスリングまがいの反則行為を繰り返したのだった。

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 ジムへの抗議の電話は一日何千本にも及んだ。渦中にいた金平にも、当然世間から厳しい目が向けられる。さらに謝罪会見で大毅が無言のまま退出したことで、その流れは一層エスカレートしていく。

 金平と協栄ジムは、亀田家との出会いで運命が変わったのだ。だが、不思議なもので、亀田家と金平の縁はその後も切れることはなかった。

第3回に続く〉

#3に続く
「父なら亀田家と、どう付き合ったのか」ボクシング名門ジムを解雇された“セガレ”の転落人生…アルコール依存症の再発「病室で大谷翔平を見て泣いた」
この連載の一覧を見る(#1〜4)

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