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「父なら亀田家と、どう付き合ったのか」ボクシング名門ジムを解雇された“セガレ”の転落人生…アルコール依存症の再発「病室で大谷翔平を見て泣いた」
posted2025/08/04 11:02
多くの世界王者を輩出した協栄ボクシングジムを父から引き継いだ金平桂一郎(写真は2007年)
text by

栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Shigeki Yamamoto
具志堅用高や渡嘉敷勝男、鬼塚勝也、勇利アルバチャコフらボクシング史に輝く13人の世界王者を輩出した「協栄ボクシングジム」。亡き父の跡を継いだ2代目会長・金平桂一郎は、亀田興毅らのマッチメイクをはじめ、一時はボクシング界の中心にいた。しかし、自らのトラブルが原因で会長職を解かれると、そこから人生は波乱の一途を辿っていく。【NumberWebノンフィクション全4回の3回目/第1回、第2回、第4回も公開中】
金平ほど「if」が意味を成す人生を歩んできたボクシング関係者はいないのではないか。
父が「毒入りオレンジ事件」を報じられなければ。30億円もの借金の返済に追われる必要がなければ。アルコールに逃げることなく協栄ジムを存続させることが出来ていれば。そして、あの日、亀田大毅が反則を繰り返すことがなければ――。
父・正紀にあって、息子・桂一郎に欠けていたもの。それは、ボクサーという人種への深い理解であったのではないか。金平と接していて、ふとそんなことを思った。
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「もし父が生きていたら亀田一家とどう付き合っていたのか。あの時どうするのが正解だったのか。20年近く経つ今も、時折そう考えることもあります」
亀田興毅と謝罪会見
亀田大毅と内藤大助の世界戦から半月後の2007年10月26日。亀田興毅と金平は謝罪会見の場にいた。興毅と父・史郎がセコンドで反則行為を指示していたことを認め、「自分たち亀田家のせいでボクシング界全体のイメージを悪くし、関係者、ファンのみなさまに申し訳ない」と頭を垂れた。
金平は自著『拳の真相―わが父と11人のチャンピオンたち』(双葉社)のなかで、こう綴っている。
「私はこの10月26日をひと区切りにして、亀田一家で親離れ、子離れが始まると期待していました」
両者の溝は埋まらず、2008年の5月に協栄ジムは亀田家と双方合意の上で契約を解除した。


