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死んだ父が残した借金30億円完済も「酒に逃げた…」“このままじゃ確実に死ぬ”と診断された金平桂一郎を救った亀田興毅という宝物
posted2025/08/04 11:01
金平桂一郎が会長を務める協栄ジムへの移籍会見でポーズをとる亀田興毅と父・史郎さん(2005年6月)
text by

栗田シメイShimei Kurita
photograph by
JIJI PRESS
具志堅用高や渡嘉敷勝男、鬼塚勝也、勇利アルバチャコフらボクシング史に輝く13人の世界王者を輩出した「協栄ボクシングジム」。亡き父の跡を継いだ2代目会長・金平桂一郎は、亀田興毅らのマッチメイクをはじめ、一時はボクシング界の中心にいた。しかし、自らのトラブルが原因で会長職を解かれると、そこから人生は波乱の一途を辿っていく。【NumberWebノンフィクション全4回の2回目/第1回、第3回、第4回も公開中】
父が残した借金30億円
「ボクシングは儲からない」
父・金平正紀の放言は、名門ジムの会長を継承した息子・桂一郎の骨身に染みた。
借金30億円の大半は、興行で膨らんだものではなく土地売買で損失を出したものだった。一方で、興行の収益もマイナスで良くてトントンばかりであることも即座に理解した。
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「毒入りオレンジ事件」以降、定期的なスポンサーが撤退したことの影響も尾を引いていた。独裁的だった父の影響もあってか、業界内でも金平に手を差し伸べるものは限定的だった。
周囲や弁護士からは「破産すべきだ」と助言を受けるが、ジムに所属するボクサーのことを考慮し、「協栄ジム」の看板は継続させる方法を模索する。
「つまるところジムの会長やプロモーターの仕事は、いかに金策に走れるか。これに尽きるんですよ」
当時の協栄ボクシングジムに世界王者はゼロ。一時代を築いた鬼塚勝也も1994年に引退。勇利アルバチャコフ、オルズベック・ナザロフら金平が通訳として関わり、コネクションを持つ旧ソ連系のボクサーも日本のリングを降りていた。今後のジムを背負って立つ、看板ボクサーも不在だった。
それでも、過去の名選手が在籍した恩恵も感じさせたという。中でも鬼塚との出会いは、協栄ジムに大きな影響を与えた。金平が述懐する。


