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甲子園の風BACK NUMBER
「風評被害はありました」全校生徒89人“ナゾの新設校”エナジックで甲子園出場…神谷嘉宗監督とは何者か?「ケツバットで野球部を辞めた」意外な経歴
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/23 11:03
エナジックスポーツ高等学院野球部の神谷嘉宗監督(70歳)。その指導の源泉には、かつて味わった理不尽な経験があった
「07年は決勝で1対1のまま延長に入った。押していたんだけど、雷が落ちて再試合になっちゃいましてね。横浜の部長だった小倉(清一郎)さんからは『神谷さん、甲子園出られないね』と言われました(笑)」
しかし08年夏、浦添商業は好投手の伊波翔悟(元沖縄電力)を軸についに沖縄大会を制した。監督歴28年目にして初めての甲子園に出場し、ベスト4まで進出。12年には美里工業に転勤となるも「3年以内に甲子園に出場します」と公言し、公約通り14年のセンバツに出場。“悲運”という冠がようやく取れた。
「本土の高校に誘われました」なぜ新設校の監督に?
話は振り出しに戻る。公立高校の中部商業、浦添商業、美里工業の監督として県内で一時代を築いた名将・神谷が、なぜ新設校のエナジックに行くことになったのか。
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「定年してから、本土の高校に誘われました。コーチだったら行こうと思っていたんですけど、本土で監督をやる自信がなかったですね。だって地盤がないですから。じゃあ沖縄から選手を連れて行くのかってなっても、そこまでして向こうでやろうとは思わない。そんなとき、エナジックが4月から高校を作るという新聞記事を見たんです。2021年の2月でしたかね。社会人野球のエナジックに行っている教え子がいたものですから、彼に内情を聞いたところ、自分が野球部の監督候補になっていると知りました。そうした縁が重なって、8月に野球部監督に就任しました」
60歳での定年後、5年の再雇用によって美里工業で監督を続けた神谷が、県内の公立高校でふたたび監督をやれる可能性は低いと考えた。そんなときに、エナジックが高校を作るという記事を見て興味を抱いたのだ。
「新設校だし、一から作る大変さはあるけど、逆に面白さもやりがいもある」。持ち前のポジティブシンキングで選手勧誘に奔走した。

