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「あれを見て裕毅はF1を目指せると…」父が確信した角田裕毅のレッドブル・ジュニア時代…片山右京も絶賛のドライビング「車が泳いでいるようだ」
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生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byNobuaki Tsunoda
posted2025/06/24 17:02
競技スキーやマウンテンバイクのダウンヒルの経験があり、ジムカーナでも活躍してきたツ角田裕毅の父・信彰氏(右)「裕毅とは友達のような関係ですね」
国内のF4で際立っていた角田のドライビングはF3の舞台でも関係者の目を引いた。なかでも注目されたのがタイヤに優しい走り方だ。信彰にはカート時代から息子に教え込んできた操縦術がある。自身が熱中していた自動車のタイムトライアルレース、ジムカーナで培ったものだ。
「コーナーに入ったとき、自分で決めたラインよりも、オーバーかアンダーか微妙にずれるでしょう。そうすると普通はアクセルを踏むか抜くかするんだけど、裕毅には“修正するな”って言ってきたんです。そのままでいいから、車が向かう方向にまかせて走らせなさい。次のコーナーまでにゆっくり修正すればいい。もし我慢できずに修正するなら一発で決めろって。それが染み付いているから、タイヤが勝手に残っているんです」
片山右京「車が泳いでいるようだ」と表現
数多くのオーバーテイクを実現させたブレーキングも評価が高かった。
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「カート時代は、コーナーのアウト側から抜けと教えてきました。アウトにはゴミがあって滑るけど、スピードが乗る。だからアウトから仕掛けて行くと、難しいぶんブレーキがうまくなるんです」
この頃の角田のドライビングを初めて見た片山右京は、そのスムーズで抵抗の少ない走りを「車が泳いでいるようだ」と表現した。親子で礎を築いてきた技術は、その後も角田の走りの根幹となった。
初挑戦のF3はシリーズ9位に終った。しかし、終盤に果たした3連続表彰台など、下位チームで見せた突出した速さが認められ、たった1年でF1直下カテゴリーの「FIA F2」へステップアップ。今度は名門チームのカーリンへ移籍した。
コロナ禍のシーズンも「速さをアピール」
この'20年シーズンの目標は明確だった。F1に乗るために必要なスーパーライセンスポイントの獲得。そのためには、シリーズ4位以内に入らなければならなかった。
年初からの新型コロナウイルス感染拡大により移動が制限されるなか、角田は一度も帰国せず、チームの本拠地であるロンドン近郊に引っ越した。予定されていた3月に開幕できず、先の見通せないシーズンとなったが、それでも角田は準備段階から速さをアピールしていた。
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