NumberPREMIER ExBACK NUMBER
「あれは一種の家出だった…」恩師とライバルが明かす角田裕毅“17歳の素顔”「泊めてと、ころがりこんできた。当初はオレのパンツをはいとったよ」
posted2025/06/24 17:03

レーシングスクールSRS-Fの同期でFIA-F4でともに戦った(左から)角田裕毅、大湯都史樹、笠原右京
text by

大串信Makoto Ogushi
photograph by
Takashi Ogasawara
発売中のNumber1122号に掲載の〈[ルーツを探る(1)ジュニア時代]恩師とライバルが明かす「運命を分けたルート」庄司富士夫/笹原右京/大湯都史樹〉より内容を一部抜粋してお届けします。
「角田は子供みたいでかわいいところがあった」
「オレはレースで角田の世話をしたというより、私生活の世話をしたような気がする。鈴鹿でレースがあるときなんか、ほとんどうちに泊まってた。あいつはうちを下宿先みたいなつもりでおったんと違うかな。子供みたいでかわいいところがあったから、それでよかったんだけど」
と、庄司富士夫は言う。鈴鹿サーキット近くで自動車工房MYST(ミスト)を経営する庄司は、レーシングカー開発・製造と並行して運営するレーシングチームから多くの若手選手を上位カテゴリーへ送り出した名伯楽である。角田裕毅は、レーシングカートから4輪レースへステップアップする際、まず庄司のチームに所属し、初期の練習と実戦経験を積んでいる。
「SUGOのFIA-F4が終わった後なんか、まじで2週間くらいおったからね」
ADVERTISEMENT
庄司が言うのは、2017年、スポーツランドSUGO(宮城県)で開催されたFIA-F4日本選手権シリーズ第7戦及び第8戦のことだ。前年、レーシングスクールであるSRS-Fを卒業した角田は、スクールで同期だった笹原右京、大湯都史樹とともにホンダが運営する育成チーム、HFDPからFIA-F4に進出し、1年目のシーズンを闘っていた。3人は好成績を挙げながらシリーズを戦い進んだが、7月23日の第8戦は大荒れとなった。
雨の中、レースはアクシデントで中断し、セーフティーカー(SC)先導を経て7周目から再開された。トップが大湯、2番手に角田、3番手に笹原が続いていたが、再スタートのためSCがピットロードに退去した際に混乱が起きた。本来は競技車両の先頭でスタートラインを通過しなければならなかった大湯が、急減速してなぜかSCとともにピットインしてしまったのだ。
大湯にも言い分はあるようだが、結果的には大湯の凡ミスであった。大湯が再スタート直前に急減速したため後続の角田と笹原も急ブレーキを踏まざるをえず、その結果2台は接触してコースを飛び出し、レースを終えてしまった。当然2人とも大事な選手権ポイントを1点も重ねることができなかった。
「現地で見ていた角田の親父が怒って、角田を自分のクルマに乗せず、ひとりで(神奈川の)家に帰っちゃったんだ」と庄司は言う。
若き角田の高い社交性
「自宅へ帰るすべがなくなった角田は、しかたなくチームの連中と一緒にとりあえず鈴鹿まで帰ってきて、行くところがないからうちに泊めてと、ころがりこんできた。荷物も何も持たずに手ぶらだから、風呂とかシャワーに入っても下着がない。それで当初はオレのパンツを穿いとったよ。その後で、うちの嫁さんと買い物に行って下着とか揃えて、着てきた服を洗濯して使ってたんちゃうか」
当時角田は17歳。対する庄司は40歳以上も年上の職人気質で知られた人物である。だが、角田は庄司を慕って身を寄せた。
「あいつは社交性がちょっと人と違って、物怖じしない。初対面の人でもいきなり喋りだすし、すぐ仲良くなれる。人間関係を作るのが本当にうまいんだ。だから、(レッドブル顧問のヘルムート・)マルコのじいちゃんにも気に入られたんじゃないか?」
だが、当時チームメイトだった笹原は、異なる見方をする。
「あれは一種の家出だったんですよ」

【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の「あれは一種の家出だった…」恩師とライバルが明かす角田裕毅の“素顔”と運命を分けた“割り込み”「本来ならあそこに俺がいたはず」<笹原右京、大湯都史樹らの証言>で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。

