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原晋監督が叱責「嫉妬が積み重なって…」「あぁ、自分の箱根は終わった」箱根駅伝4連覇・青学大“2014年組”「駅伝男」と「8掛け男」の熱い4年間
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佐藤俊Shun Sato
photograph byHirofumi Kamaya
posted2025/06/19 17:01
中村祐紀にとっては結果的に唯一の箱根となった第92回大会。4年間活躍した同期・田村和希への反骨心を糧として中村は努力を続けた
「ダブルエースじゃないよな」
4年生になった田村は役職につかず、競技に集中できる環境になった。原晋監督からは「駅伝男」と称され、絶大な信頼を置かれていた。4年時には下田とともに“ダブルエース”と呼ばれ、チームの軸になった。ただ、田村自身はそうした世間とは違う見方をしていたという。ふたりはまったくタイプの違う選手だし、先輩の一色恭志のような絶対的な存在でもなかったと見ていた。
「下田は、箱根でいうと往路ではなく、復路タイプです。出雲や全日本もそうですが、前半区間を走るとうまく力を発揮できない。でも、復路のようにひとりで淡々と走る区間では、自分の力を100%出し切るタイプ。
僕は逆に、前半区間でどれだけうしろと差をつけられるか、あるいは、ちょっと遅れてもゼロスタートにできるタイプ。ダブルエースと言われてはいたけど、ふたりは役割もタイプも違うし、一色さんのようなエースタイプではないので、ダブルエースじゃないよなって思っていました」
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競技者として強くなっていくプロセスも違った。下田は、ひたすら距離を踏んで、すべての練習をパーフェクトにこなしていった。田村は下田のように体が強くなく、多くの距離を踏めないので、常に何が足りないのか、どうすれば強くなれるのかということを頭の中で考えて練習していた。
下田が急成長してきた2年生の頃に一度、自分ももっと距離を走らないといけないと思ったが、よくよく考えると下田と自分は違うと気づき、自分のすべきことに集中した、ということもあったという。
最後の箱根での快走
4年生、最後の箱根で田村は3区を走り、区間2位。青学大は往路2位になった。だが復路で東洋大をひっくり返して、箱根駅伝4連覇を達成した。
「この時は、4年間で一番、まったく浮足立つことなく、平常心で走ることができました。区間賞は取れなかったですが、優勝できましたし、4連覇を達成できたことも含めて、一番印象に残る箱根になりました」
田村は学生4年間で9回駅伝を走り、区間賞6回。抜群の安定感と強さを示し、「駅伝男」としてチームを牽引しつづけた。



