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原晋監督が叱責「嫉妬が積み重なって…」「あぁ、自分の箱根は終わった」箱根駅伝4連覇・青学大“2014年組”「駅伝男」と「8掛け男」の熱い4年間
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佐藤俊Shun Sato
photograph byHirofumi Kamaya
posted2025/06/19 17:01
中村祐紀にとっては結果的に唯一の箱根となった第92回大会。4年間活躍した同期・田村和希への反骨心を糧として中村は努力を続けた
3年生になって
中村の同期・田村和希は1年目、2年目と箱根の4区を走り、2年連続で区間賞を獲得。次世代のエースとして認められた。
3年生になっても田村は好調を維持していた。出雲駅伝では2区区間賞で優勝に貢献すると、全日本駅伝も2区区間賞でチームをトップに導く走りを見せ、ふたたび優勝の原動力となる。3大駅伝のうち2冠を奪取し、3冠達成への機運は高まっていた。
さらに11月末の10000m記録挑戦競技会では、青学大記録の28分18秒31をマークし、自己ベストを更新した。誰も田村を止められない、箱根でも出走区間での区間賞はもちろん、区間新も望める、という声がチーム内外からこぼれてくるほど、田村は圧巻の強さを見せていた。
3冠達成も田村の走りは不完全燃焼だった
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しかし、いよいよやってきた箱根駅伝で田村の配置は7区になった。大会直前に風邪を引いてしまったので、なるべく回復を待ってリスクを軽減するために、往路区間への配置が回避されたのだ。
レースでは序盤こそ快調に走っていたが、後半は胃腸のトラブルが起きて動きが落ちた。水分を取ると朝食べたものが上がってくるようになり、気持ちが悪くなったという。その状態がつづいて思うような走りができなくなり、区間11位に終わった。
「箱根前までは、3年間で一番仕上がっていました。出雲、全日本を走り、直前には10000mの記録会で自己ベストを出すなど、レースを転戦して、すべて“当て”にいっていましたし、練習もパーフェクトにやっていました。
その疲れが一気に箱根の前に出たようで……だいぶ疲れていたんだなぁって思いましたね。それが風邪の原因になって、体調不良につながったんだと思います。結果的には箱根で優勝できましたし、3冠を達成できてよかったんですけど、もし、この時、僕のせいで箱根で負けて3冠達成できなかったら、僕の陸上人生は悪い方に変わっていったと思います」

