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巨人・長嶋茂雄「顔も見るのも嫌」“対戦打率.193”大の苦手は村山実でも江夏豊でも星野仙一でもない…“一茂とも対決”唯一の投手は?
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広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2025/06/15 11:00
村山実と談笑する長嶋茂雄。最大のライバルのイメージがあるが、成績的に見た際の“大の苦手”は…?
松岡弘(サンケイ・アトムズ・ヤクルト)1968-74
126打35安6本19点
12球(1)11振 率.278
平松政次(大洋)1967-74※
181打35安8本26点
18球(0)33振 率.193
河村保彦(中日、サンケイ・アトムズ・ヤクルト)1959-67
129打33安5本26点
20球(3)15振 率.256
浅野啓司(サンケイ・アトムズ・ヤクルト)1967-74
120打30安4本17点
10球(1)8振 率.250
板東英二(中日)1959-69
104打28安6本18点
6球(0)11振 率.269
星野仙一(中日)1969-74※
111打26安7本20点
8球(1)6振 率.234
長嶋が「顔を見るのも嫌」と言ったのが大洋の平松政次。右打者の懐をえぐる「カミソリシュート」を最大の武器としており、向かっていくタイプの長嶋にとっては大の苦手で、敬遠もゼロがそれを物語る。しかしそんな平松からも8本の本塁打を打っている。
なお50打数以上まで広げると――最も打率が良かった、低かったのは以下の2人となる。
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白石静生*(広島)1966-74
70打31安6本22点
9球(1)2振 率.443
稲葉光雄(中日)1971-74
62打11安1本6点4球(0)5振 率.177
白石は眼鏡をかけた左腕投手で、王貞治は.268と抑え込んだものの、長嶋にはからっきし弱かった。75年に阪急に移籍した。稲葉光雄はセ在籍は6シーズンだけ。77年に阪急に移籍するまで、巨人には6勝3敗。「巨人キラー」と言われていたが、選手生活晩年の長嶋には苦手な相手だったのだ。
茂雄、一茂両方と対戦経験のある唯一の投手は?
なお、長嶋茂雄と長嶋一茂の両者と公式戦で対戦した投手は、鈴木孝政だけである。
鈴木孝政(中日)
対長嶋茂雄 1974
6打3安1本2点0球0振 率.500
対長嶋一茂 1988-89
3打0安0本0点0球1振率.000
鈴木はとは現役最後の1年のみ対戦したが、父親にはよく打たれた。89年に引退したが、最晩年に息子と対戦している。鈴木は、長嶋一茂から最初に三振を奪った投手でもある。
日本シリーズで対決…サブマリン山田らとの対戦成績
当然ながら交流戦がない時代なので――米田哲也、鈴木啓示、稲尾和久、立教大の同級生の杉浦忠、同い年の梶本隆夫、村田兆治、東尾修など殿堂入りしたパ・リーグの大投手とは公式戦で対戦していない。
しかし日本シリーズでは、稲尾とは58、63年に対戦している。
28打7安2本6点1球4振.250
58年は西鉄が3連敗から4連勝し、その4勝をすべて稲尾が挙げたことから「神様、仏様、稲尾様」と言われた。ただし長嶋はこの年、18打数3安打ながら1本塁打を打っている。立教大学のチームメイトの杉浦は1959年の日本シリーズで4連勝したが、長嶋も12打数3安打1打点と抑え込まれている。しかし杉浦はここから急速に衰え、65、66年も日本シリーズに出たが主に救援だった。
長嶋と杉浦の通算成績は以下の通り。
18打6安1本3点3球0振.333
杉浦は1970年限りで引退。1971年3月25日大阪球場での巨人とのオープン戦が引退試合となったが、長嶋はこの試合で中前に痛烈な安打を放っている。
阪急勢との対戦は以下の通り。
米田哲也:1967~72
17打6安0本3点0球0振.353
梶本隆夫:1967~69
4打2安2本1点1球0振.500
山田久志:1971~72
12打2安0本1点0球1振.167
なお、ロッテに移籍した小山正明からは1970年の日本シリーズ第3戦で、延長11回に決勝の2ランホームランを打っている。こうした対戦成績を見るだけで「昭和野球」華やかなりし頃の火花を散らす名勝負が見えてくる。長嶋茂雄の逝去によって、こうした名勝負も「歴史の1頁」になった。
(参考文献:『ON記録の世界』『栄光の背番号3』/長嶋さん特集:つづく)

