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長嶋茂雄23歳と天覧試合…真実はサヨナラ弾だけでない「両チームに恩賜のタバコ」「初のONアベックアーチ」王貞治19歳は“打率.169の二本足打法”
posted2025/06/25 06:00

初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放ち、試合後インタビューを受ける長嶋茂雄
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
天覧試合は長嶋茂雄プロ2年目のことだった
今から振り返ると、1959年は日本プロ野球にとって決定的な年となった。
前年11月27日、宮内庁は皇太子・明仁親王(現在の上皇陛下)と正田美智子さん(現在の上皇后陛下)のご婚約を発表した。
そして宮内庁は、翌59年4月10日に結婚の儀を執り行い、その後、皇居から東宮仮御所までの8.9kmを6頭立ての馬車が走る「ご成婚パレード」を行うと発表した。
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婚約会見で正田美智子さんが語った「(皇太子)殿下は、ご誠実で、ご立派で」が流行語となり、「ミッチーブーム」が巻き起こる。
1954年の日本テレビを皮切りに次々と開局した民放テレビ各局は「ご成婚パレード」の中継を行うと発表。多くの国民は、皇太子ご夫妻の華やかなパレードをぜひ見ようと、テレビ受像機を買い求めた。テレビ受像機の売り上げは、前年の2倍に上った。
日本国民の多くは、この慶事をきっかけとして我が家の茶の間にテレビを置くようになったのだ。その受像機で流れたのが、プロ野球の巨人戦だった。
前年の1958年、立教大学の大スター長嶋茂雄が巨人に入団した。入団発表のニュースが流れたとたんに、後楽園スタヂアムの株価が急騰したと言われるが、この超大物新人は、新人でいきなり本塁打王、打点王を獲得、打率2位という空前の成績を残し、プロ野球最大のスターになった。
この時期、皇太子殿下の父君・昭和天皇は皇居で毎夜、水道橋付近の上空の空が明るく光ることに気が付かれ「あれは何か?」とお尋ねになった。「職業野球の夜間試合でございます」との説明を受けて「一度見てみたい」との会話がきっかけとなって「天覧試合」の計画が具体化したという。
正力松太郎にとって「天覧試合」が悲願だったワケ
昭和天皇のご希望もあって「天覧試合」は、後楽園球場の試合ということになる。調整の結果、6月25日の巨人―大阪戦に決まった。巨人の主催試合だが、今回の「天覧試合」の栄誉は、ひとり巨人、セントラル・リーグが浴するものではなく、プロ野球全体のものでなければならない。そこで、ご説明役はパシフィック・リーグの中澤不二雄会長が務めることとなった。
読売巨人軍のオーナーで、讀賣新聞社社主だった正力松太郎は、両陛下を貴賓席にご案内する案内役となった。
正力にとって今回の「天覧試合」は、並々ならぬ思い入れがあった。