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長嶋茂雄「永久に不滅です」には“続き”があった「審判もみんな“グル”だった最終打席」「実は引退試合の後に17試合も出場」規格外のミスター秘話
posted2025/06/15 11:01

引退式で挨拶する長嶋茂雄さん
text by

渋谷真Makoto Shibutani
photograph by
JIJI PRESS
テレビ番組でコメンテーターが「またひとつ、昭和が終わった」と話していた。巨人の長嶋茂雄終身名誉監督の訃報には、時代の終焉を感じさせるほどの重みがあった。
1974年10月14日、長嶋さんの引退試合はあまりにも有名だ。後楽園でのダブルヘッダーに、中日はほとんどの主力選手が欠場していた。その2日前に20年ぶりのリーグ優勝が決まり、当日は名古屋市内で優勝パレードが行われたからだ。高木守道、星野仙一、谷沢健一、木俣達彦らはもちろんのこと、監督の与那嶺要まで不在。しかもこの2日後には日本シリーズが開幕するという、今では考えられないスケジュールだった。
「審判もみんなグル」の理由
控えと若手で臨んだ歴史的な試合。第1試合では通算444本目にして最後となる本塁打をレフトスタンドに運んだ。そしてサプライズの場内一周をはさんで、第2試合は始まった。8回が最終打席。すぐ後ろでマスクをかぶっていた金山仙吉さんに話を聞いた。「審判もみんなグルよ」と笑って振り返ったのには理由がある。
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「だってそうだろう? あの8回は1番から始まった。全員が長嶋さんの最後の打席を見たかったんだから」
10点差がついており、9回裏はまずない。三者凡退で4番の長嶋さんに打席が回らないなど、許されるはずがなかった。どうやら金山さんの記憶では四球の走者だったようで、実際には安打だったと伝えると「そうか!」とは言ったが、誰もが空気を読み、必死だったのは間違いない。それが「グル」の意味である。