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「この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す」メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか?
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島田明宏Akihiro Shimada
photograph bySankei Shimbun
posted2025/06/14 17:03
メジロマックイーンを破り、1991年の宝塚記念を制したメジロライアン。横山典弘は「俺の馬が一番強い」と信じ続けていた
差のない3番人気は、これも4歳だった芦毛のホワイトストーン。クラシック三冠は8、3、2着で、有馬記念は3着。年明け初戦の大阪杯を完勝し、天皇賞・春で6着となり、ここに駒を進めてきた。
単勝10倍以下はこの3頭で、「三つ巴」と言うこともできたが、大方の感覚ではメジロマックイーンの「一強」であった。
「あいつと仲よく走ればいい」横山典弘とライアンの絆
曇り空の下、ゲートが開き、10頭が良馬場の芝コースに飛び出した。
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馬場の真ん中からイイデサターンが先頭に立った。ホワイトストーンが内の2番手。メジロマックイーンは外目の4番手、1枠1番から出たメジロライアンは内の6番手につけた。
イイデサターンが単騎逃げの形に持ち込んで2コーナーから向正面へ。3馬身ほど離れた2番手がホワイトストーン、メジロライアンが3番手の内に上がってきて、メジロマックイーンはそこから2馬身ほど後ろの外にいる。
3コーナーの坂の下りで、メジロライアンが一気に加速して先頭に立った。すぐ外にホワイトストーンが馬体を併せてきて、少し遅れて1頭を挟んだ外からメジロマックイーンが追い上げてくる。
メジロライアンは4コーナーを回った遠心力を生かし、直線入口で外にスライドするように走り、馬場の真ん中に進路を取った。横山の叱咤に応え、外のホワイトストーンとの差を少しずつ広げていく。その外からメジロマックイーンも伸びてくるが、ラスト200m地点でメジロライアンから3馬身ほど遅れている。
ラスト100m付近から、メジロライアンが独走態勢に入った。メジロマックイーンが底力で追い上げてくるが、及ばない。
メジロライアンが先頭でゴールを駆け抜け、GI初制覇を果たした。ウイニングランをした横山は、馬上でヘルメットを取ってスタンドに一礼した。その表情は晴れやかだった。
「いつもだったらもっと後ろから行くんですけど、今日は相手をホワイトストーンとメジロマックイーンに絞っていましたから、意外と前のほうの競馬になりました。引っ張り切れないくらいだったので、あそこで馬と喧嘩してもしょうがないと思い、いつもどおり、あいつと仲よく走ればいいなと思って、そのとおりに走れました」
2着のメジロマックイーンを1馬身半突き放す完勝だった。


