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「この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す」メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか? 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/06/14 17:03

「この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す」メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

メジロマックイーンを破り、1991年の宝塚記念を制したメジロライアン。横山典弘は「俺の馬が一番強い」と信じ続けていた

「この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す」

 メジロライアン陣営としては、当歳のときから光っていたというこの馬の強さを証明できた感慨があったはずだ。一方で見ていた私たちにとっては、あのメジロマックイーンが、勝てそうなシーンをつくることすらできずに完敗したことのほうが衝撃だった。

 多くのファンにとって、「メジロマックイーンが敗れたレース」として記憶に残る一戦となったわけだが、「マックイーンの敗因」より、やはり「ライアンの勝因」に注目すべきだろう。メジロライアンは、前年秋に同じ京都芝2200mで行われた京都新聞杯を、重馬場でありながら、2分12秒3というコースレコードで勝っている。3コーナーの下りで勢いに乗り、そのまま水が高いところから低いところへ流れるように4コーナーから直線に向くという、京都外回りコースでの力の出し方を、人馬ともに心得ていたのだ。

 それともうひとつ、横山が言いつづけていた「俺の馬が一番強い」という、馬を信じる気持ちがあのパフォーマンスにつながったのだろう。

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 その後、メジロライアンは屈腱炎を発症し、翌92年春の日経賞を勝ったのを最後に引退。種牡馬となり、天皇賞・春を勝ったメジロブライト、オークスなど牝馬GIを5勝したメジロドーベルなどを送り出した。

 種牡馬引退後は故郷のメジロ牧場で余生を過ごした。2011年にメジロ牧場が閉場し、レイクヴィラファームとして生まれ変わってからもそこにいたが、2016年3月17日、老衰で世を去った。29歳だった。

 レイクヴィラファームには、メジロティターン、メジロラモーヌなど、歴代の「メジロ」の名馬の墓碑があり、メジロライアンの墓碑には、「この馬のおかげで今の俺があるのだから、俺が金を出す」と言った横山の名も刻まれている。

 レイクヴィラファーム相談役の岩崎伸道さんによると、今でも命日にファンから贈られる花が一番多いのはメジロライアンで、ラモーヌ、マックイーンがそれにつづくという。

 現役引退から33年、没後9年となった今も多くのファンに愛されている名馬メジロライアンが、生涯最高の走りを見せたのが、この宝塚記念だったのである。

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