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大谷翔平の高校時代に新証言「当時は投手として注目されていた気が…」甲子園で対戦した投手が明かす「大谷から唯一の三振を奪った打席」秘話
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上杉純也Junya Uesugi
photograph by日刊スポーツ/アフロ
posted2025/07/03 11:05
2011年夏の甲子園1回戦、帝京高に敗れ涙を拭う大谷翔平(花巻東高)
――8回裏、先頭打者の大谷選手を抑えて、見ている側としては帝京に試合の流れが完全に行ってしまったのかなと。ところが9回裏にとんでもない展開が待っていましたね。状況としては7-8と花巻東が1点を追う展開となっていました。そしてまず、1アウトから代打の山本英選手にレフト前ヒットを打たれて、これでランナー一塁となりました。そこから盗塁~守備妨害という一連の流れが待っていたワケですが、まずは盗塁からです。
石倉 確かあのとき代走が出たんですよね。で、初球で走られてるんですよ。なんかちょっと警戒してなさすぎたなっていうのは今思うとありますし、やっぱり初球で走られているってことは、多分もう完全に盗まれてるような感じだったと思いますね。
――盗塁を決められて1アウト二塁。ピンチが広がったと思われた瞬間でした。主審が“守備妨害”をコールしたんですよね。あれはプレーしている側からするとやっぱり完全な守備妨害だったんでしょうか?
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石倉 いや、そのとき僕はそういうの、何も感じなかったんですよ。「うわ~この後どうしようかな」っていうことだけを考えていたので。だから「あっ、守備妨害だ」みたいなことは思わなかったですね。
試合終了の瞬間に、勝ち投手が感じていたこと
――あのときはヒットで同点のランナーが出て。その途端に1点差で負けてる花巻東への応援が凄くなっていったんですよね。
石倉 そうなんですよね。凄い応援だなっていうのはありました。やっぱり、流れも良くなかったんで。
――ただ、その直後に守備妨害で打者がアウトにされて、ランナーも一塁に戻されました。
石倉 そうですね、助かったとも思いつつも、「この後どうしようかな」っていうことばかり考えていたと思います。
――それでもまさかの守備妨害となり、チャンスが潰れてしまったことで同点を期待した盛り上がりが一気に冷めていきました。そして結局、最後は石倉さんが1番・太田(知将)選手をセカンドゴロに仕留めて試合終了となりました。結果的に石倉さんが勝ち投手になりました。
石倉 そのときは勝ち投手になったとかっていうのは、全然感じてなかったと言いますか、やっと終わったなみたいな。そしてもうめちゃめちゃ疲れたなみたいに感じていました。今思っても、勝ち投手になったっていう実感というか、そういうのはないですよね。本当に何か自分が勝ったというよりは、もうみんなで頑張った1勝みたいな感じだったんです。
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