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大谷翔平の高校時代に新証言「当時は投手として注目されていた気が…」甲子園で対戦した投手が明かす「大谷から唯一の三振を奪った打席」秘話
posted2025/07/03 11:05

2011年夏の甲子園1回戦、帝京高に敗れ涙を拭う大谷翔平(花巻東高)
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上杉純也Junya Uesugi
photograph by
日刊スポーツ/アフロ
いまや世界のスーパースターとなったドジャース・大谷翔平。花巻東高校時代には、2度の甲子園出場を経験している。帝京高校、大阪桐蔭高校と対戦した「大谷の甲子園」を関係者の証言で紐解く『証言ドキュメント 大谷翔平と甲子園』(上杉純也著/発行:東京ニュース通信社/発売:講談社)より、“大谷から甲子園唯一の三振を奪った投手”石倉嵩也のインタビューを抜粋して掲載する。《全3回の最終回/第1回、第2回も公開中》
◆◆◆
大谷翔平が“甲子園で唯一の三振”をした打席
――その凄い大谷の打球を2度見てからの勝負となりましたが、その時の攻めは初球、緩い変化球で内角低めに投げました。この球を大谷選手は打って出てファウル。2球目は外角低め。多分あれは変化球だったと思うんですけど、ちょっとスイングを誘った球でしたよね。
石倉嵩也さん(以下、石倉) はい、そうです。
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――この球に大谷選手のバットはピクリとも動かず、判定はボールとなりました。続く3球目は内角への緩い変化球でした。この球を大谷選手は打ちに行ったんですが、あまりにコースが厳しかったため、窮屈なスイングでファウルになっています。4球目は外角高めへのストレートを選択して、際どいコースを突くボールとなりました。これでカウントは2-2。次が勝負の1球です。注目の勝負球はコース外いっぱいの変化球でした。多分スライダーだと思うんですが、結果は空振りの三振。
石倉 あの配球はキャッチャーの石川の考えもありましたし、僕自身もそう考えて投げたっていうのもあります。前の打席で真っ直ぐを打たれていたので。多分、もう真っ直ぐは打たれるなっていう感覚がすごいあったんです。だからファウルでカウントを稼いで、「打ち損じてくれればいいな」「三振してくれれば儲けもんだな」って思っていたような。そんな覚えはありますね。
――要は打たれても、シングルヒットなら御の字というか。
石倉 そうですね。とにかくホームランだけは(避けたい)って思って投げていました。