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長嶋茂雄「永久に不滅です」には“続き”があった「審判もみんな“グル”だった最終打席」「実は引退試合の後に17試合も出場」規格外のミスター秘話
text by

渋谷真Makoto Shibutani
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/15 11:01
引退式で挨拶する長嶋茂雄さん
「カーブでいきましょうか?」捕手が長嶋に…
一死一、三塁。打席は用意できた。次なるミッションは打たせることではなく「いかに気持ちよく振らせられるか」。総立ちの観衆が大歓声を送る中、金山さんは長嶋さんにこう問いかけたという。
「カーブでいきましょうか?」
このケースで四死球ほど興ざめすることはない。かといって先述の理由で、マウンドにいるのは経験の浅い若手だった。極度の緊張下、果たしてストライクを投げられるか。それも含めてのカーブという「配球」だったのだが、長嶋さんは「ストレートで頼む」と応じたという。
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「グル」の一員である以上、うなずいた。初球が三塁線へのファウル。そして2球目。変則左腕のストレートは、金山さんが懸念していたようにシンカーのように沈み、長嶋さんは引っかけた。ショートへのゴロでダブルプレー。観衆はため息をついたが、相手としては重大な使命を終え、肩の荷を下ろせた。
「永久に不滅です」には続きがあった!
その試合後にスポットライトを浴びた長嶋さんの「我が巨人軍は永久に不滅です」のスピーチが流れ、ミスタープロ野球はバットを置いた……のではない。実はそこから「アンコール興行」が始まっていた。
その秋は、大リーグのメッツを招いての日米親善野球が組まれていた。戦ったのは巨人単独が11、南海、広島、太平洋、中日との連合チームが4、全日本が3の計18試合。うち、何と17試合に長嶋さんは出場しているのだ。
「永久に…」から2週間後の10月26日に始まり、11月20日まで。場所も後楽園から始まって、札幌、仙台、福島県郡山、後楽園、新潟、富山、大阪、甲子園、松山、広島、平和台、小倉、中日(名古屋)とまさしく全国行脚。いわば「長嶋茂雄サヨナラツアー」だった。

