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長嶋茂雄「永久に不滅です」には“続き”があった「審判もみんな“グル”だった最終打席」「実は引退試合の後に17試合も出場」規格外のミスター秘話
text by

渋谷真Makoto Shibutani
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/15 11:01
引退式で挨拶する長嶋茂雄さん
“アンコール興行”で打率は4割超
先の優勝パレード同様、令和の野球界ではあり得ないこと。そもそも、長嶋さんは川上哲治監督の後任として、巨人を率いることが決まっていた。10連覇を阻まれ、ペナント奪回に向けて練習が行われていたはずだ。組閣、補強、強化…。この期間にはドラフト会議も行われたが、今のようにリモートでの事前打ち合わせもままならず。致命的に遅れたであろう新たなチーム作りが、翌年の球団史上初の最下位という結果につながったのではないかとすら思える。
引退してなお、長嶋さんはバットを置く生活を許してもらえなかった。ミスタープロ野球は「長嶋茂雄」であり続けることが求められ、巨人のみならず日本の野球界を背負っていたということだ。
驚くことに、長嶋さんはこのアンコール興行で4割を超す打率を残している。迎えた本当のラストゲームは11月20日。「スクールボーイ」沢村栄治が大リーガーを相手に躍動した静岡・草薙球場だった。初の「4番・三塁」で起用され、二塁打とタイムリーヒットを放ち、有終の美を飾った。
本当の「現役最後の言葉」と不思議な縁
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「現役はこれが最後。いろいろな感傷もあるが、よく打った。われながらそう思うよ」
当時の報道によると、涙を流すことなく、自分を褒めた。つかの間であれ、ようやく肩の荷を下ろせたのだろう。
なお、この年の日米親善野球でアメリカ側のMVPに輝いたのはジョー・トーリだった。何と来日2週間前にカージナルスからメッツにトレード移籍したばかり。こちらも今の大リーグではあり得ないことではないだろうか。長嶋とトーリ。のちに監督として松井秀喜という才能に出会うことになる2人の人生は、この年の日本で交錯していたのである。


