革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「野茂英雄は練習嫌い」だったのか? 野茂が口にせず鈴木啓示が誤解していた“真実”が明らかに「ボタンの掛け違いで…やり切れないよね」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMakoto Kemmisaki
posted2025/06/13 11:09
鈴木啓示監督は「野茂は練習をしない」と信じ込んでいたが……選手は知っていた“真相”を光山英和が明かしてくれた
野球に打ち込む姿は、それこそ、誰よりもすさまじいものがあった。その真剣さと情熱を見せつけられれば、守る方だって必死になる。
「そうなんですよ、勝たせたい、っていう気持ちですよね」
野茂のプロ意識は鈴木に通じていなかった
光山の思いは、まさしく、近鉄の仲間たちの総意だった。
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その努力のプロセスを、野茂は決して見せない。練習ではなく、グラウンドでのパフォーマンスを見てくれ。それが、プロの美学なのかもしれない。
野茂は、誰よりも高いプロ意識を持っていたのだ。
しかし、鈴木にはそれが通じていなかった。相互の理解を深めるためには、鈴木が歩み寄るべきだったのか、それとも野茂が頭を下げるべきだったのか。それを今さら問うのは不毛だろう。ただ、令和の時代にあてはめてみれば、高圧的な態度はパワハラの疑いすら持たれる。だから、選手たちに平等に声を掛け、フラットな視線で接する。
「おー、野茂、お前、球場に来る前にもう、だいぶやっとるらしいな」
コーチでも、選手でも誰でもいい。そうした情報を鈴木に伝え、鈴木が野茂にちょっと一声掛けていれば、すべては変わっていたのかもしれない。
そのつなぎ役が、鈴木にはいなかった。というより、鈴木という、いわば近鉄の大スターにご注進できるだけの存在が見つけられなかったのだろう。
そこが、鈴木と野茂という関係の溝が埋められなかった、最大の原因なのだろう。
1994年の近鉄の問題の真相
吉井理人、佐野、光山が異口同音に指摘したそのコミュニケーションの欠如は、阿波野秀幸も痛感したことがあった。あるとき、2軍調整中だった阿波野に、1軍の練習へ合流するよう連絡が来た。
「さあ、登録だということで合流するじゃん。でも、練習を見られて、先発しないまま登録もされず、帰ったことがあったんだ。あれはショックだったな」
ただ、その屈辱の体験から導き出された教訓は、後に巨人、横浜、中日で投手コーチを務めた際に、しっかりと生かすことができたのだという。


