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中日・井上一樹監督「星野仙一は戦国武将なら織田信長…殺してしまえ、ってね」あえての“生意気発言”で闘将の懐に飛び込んだ「秀吉流」の師弟愛
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/06/02 11:05
ホームランを打った井上を出迎える星野監督(1999年)
「オレを使え!」アピールに先輩はヒヤヒヤ
数多いる選手たちの中で、その姿はひと際目を惹いた。名前の「一樹」にちなんだ「ピンキー」の愛称から、ド派手なピンクの野球道具を身につけた。オレを使え!とばかりに威勢良くアピールしてくる若者の存在が、“闘将”の中で「なんやアイツは?」から「面白いやっちゃなあ」と変わるのにそう時間はかからなかった。
「先輩たちは最初、そんなこと星野さんに言ったら、お前どやされるぞってハラハラしていました。ピンクの派手な野球道具もそう。当時の中日にそんな選手はいませんでしたから。でも自分は、エリートでもないしセンスのない中途半端な野球選手だったんで、もうとにかく“オレ、ここにいますよ”、“使ってちょうだいよ”って。そうやってアピールしたんですね」
血気盛んで時には鉄拳制裁も辞さなかった星野監督に、そんな口をきく選手は他にいなかった。時に孤独な存在でもある指揮官は、無遠慮に懐に飛び込んできた井上を可愛がった。グラウンドの中だけでなく、食事会やオフのゴルフなどでも時間を過ごし「カズキ、カズキ」と目をかけるようになっていった。
ベンチの中で「コラー!!」
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「どんどん”ボール”を打ち返した方が監督は嬉しいだろうと感じていたんです。もちろん、このぐらいの冗談に対してはこれぐらい言ってもいいだろうとか、厳しい言葉に対して今日は引かなきゃいけないな、とか、そういうところは計算していました」
星野監督の目にとまった井上は、打撃の才能も開花させていく。1998年から一軍に定着し、パワフルなバッティングでクリーンナップの一角を任された。翌99年は、さらにミート力を磨き、その勝負強さから指揮官から「満塁男」と名付けられた。その年、中日は巨人との優勝争いを制して11年ぶりのセ・リーグ制覇を果たす。優勝を決めた9月30日のヤクルト戦(神宮)の光景は、今でも忘れられないと井上監督は言う。

