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巨人“じつは山川穂高のトレード獲得”を狙っていた…「なぜ消えた?」元編成・岡崎郁が明かす巨人FA戦略の10年前…糸井嘉男をめぐる“阪神との争奪戦”
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岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2025/05/26 11:01
ソフトバンク山川穂高の西武在籍時代、じつは巨人がトレード獲得を狙っていた
17年、山口と陽は開幕に間に合わず、森福は絶不調に。チームは5月下旬から球団ワーストの13連敗を喫し、6月13日には不振の責任を取って堤GMが退任。後任には、鹿取義隆が就いた。陽はこの年、打率.264、9本塁打、33打点と低迷。翌年以降も規定打席に到達できず、日本ハム時代の輝きは見られなかった。
「すごく真面目な男でしたよ。ただ、日本ハムは人気を出そうという使命感を持っていて、ファンの気を引くパフォーマンスが許されていた。ジャイアンツは伝統的に目立っちゃいけない雰囲気があった。最近はヒーローインタビューでも素を出せるようになっているし、随分変わりましたけどね。そういう意味で、陽岱鋼はちょっと息苦しい思いをしたのかもしれない。球場入りの時、日本ハムはジーパンで良いのに、巨人はスーツじゃないといけない。そんな所にも、堅苦しさを感じたかもしれません」
編成からスカウト部長に…あのドラフトも
プロ野球の監督、コーチ、選手は個人事業主である。二軍監督から編成部に異動になった岡崎は正社員になったのだろうか。
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「なっていません。当時、巨人は大まかにユニフォーム組100人、フロント100人の組織でした。その中に、正社員はほとんどいません。新入社員の採用はしているけど、毎年1人くらいしか入れないんですよ」
選手だけでなく、地位の高いフロントも、成果を上げたスカウトも基本的には1年契約である。つまり、結果を残せなければクビという過酷な条件の中、日々戦っている。高橋由伸監督のもと2位に終わった16年オフ、11年間務めた山下哲治に代わって、岡崎がスカウト部長に就任する。
〈つづく/第2回も公開中〉

